小説 川崎サイト

 

浮き世離れ

川崎ゆきお


 浮田は名前通りではないが、まだ若いのに浮き世離れしたことに興味がある。浮き世とはこの世の俗事のようなもので、世間一般のことだ。世の中が浮いている。天空の町に住んでいるわけではないが、世間で暮らしていると浮き沈みが激しい。浮き世とは一般社会という意味だろうか。
 浮き世離れとは、一般社会から少しはずれたところ、世間から一寸浮いたところ。浮き世そのものは浮いているわけではないが、安定しているわけではない。ただそれは人の世ということだろう。動植物の世界を浮き世とは言いにくい。言ってもいいのだが、やはり主観となる目が必要だろう。
 浮田は名からして、浮いた田だ。空に浮いたようにある棚田を差すのか、田が余ったので、浮いたという意味か。それは知らない。そして、浮田と浮き世離れとの因果関係はない。偶然だ。
 浮き世離れとは、あまり役に立たないことをしている人だ。だから、趣味のようなものだと言ってよい。それで生計を立てるわけではないので、やらなくてもいいことだ。
 このどうでもいいような、浮き世離れのような趣味に熱中したおかげで、浮田は有名になった。ただ、有名になるには、多くの人が見ていないとだめだ。誰もやっていないような趣味では有名も何もない。
 その趣味は偶然だった。浮き世離れの一つとして、最近話題になり、浮き世離れなことなのだが、浮き世のうち、世間のうちにしっかりと存在感を得るまでになっていたのだ。
 浮田はその先駆者ではないが、早い目にそれをやっていたため、年齢的はまだ若いのだが、重鎮になっていた。その上の世代がいないためだ。これはジャンルが新しいためだろう。
 浮き世離れしていたことが、浮き世の中、世間の中に織り込まれ、よくある趣味として認められたようなものだ。
 浮田の浮き世離れはここで終わる。そこはもう桃源郷ではなく、世俗の世界のためだ。
 浮田は先駆者なので、社会的にも認められた。地位ができたのだ。以前は常識ある社会人なら浮き世離れとして誰も相手にしてくれなかったのだが、ここに来てしっかりとしたポジションを得、有名人となった。
 後は世俗でよくある浮き世話になり、その浮き沈みと付き合うことになる。
 だから浮田は、もう浮き世離れの浮田ではなくなっていた。そうなると、浮き世離れの楽しみも薄らぎ、浮き世の楽しみに走ってしまった。これが浮き世離れしたところでの話なら、誰も何も言わないのだが。
 浮田は浮き世の浮き沈みの中で、沈んだ。浮き世の中で沈んだ。本当なら、浮き世の外にいたものを。
 
   了

   

   


   


2015年1月11日

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