小説 川崎サイト

 

目的と手段

川崎ゆきお


 何かよく分からないが、とりあえずやってみる人がいる。ただ、全く何も分かっていないわけではなく、おおよその輪郭はつかんでいるが、その詳細をよく分かっていない。細かいことまで知らないだけなら、それほど間違った選択ではないだろう。
 そうではなく、やりたいことの反対になったりすることの方が危ない。「正」だと思っていたら実は「邪」なのだ。何かよく分からないというのはそういう状況だろうか。棟田はいつもそれで失敗しているのだが、実はそうではなく、そのレベルにも達していない。それは、やり通さないで、途中でやめてしまうためだ。正と出るか邪と出るかが判明する前に果てているのだ。だから、その事柄に関しては、未だに何かよく分からないという状態のままだ。
 これは難解な文章を読んでいて、その著者が否定しているのか肯定しているのかが分からなくなることがある。書き方が難しいため、否定を肯定と受け止めてしまったりし、文脈をよく読みとれなかったための副作用だろう。
「それで、今回もよく分からないまま、終わったのかね」
「はい、途中で面倒になり、尻を割りました」
「今まで、何回割ったのかね」
「数え切れないほど」
「駄目じゃないか、それでは目的が果たせない」
「そうですねえ」
「よく見据えてから行動するように」
「はい、とりあえずが多いですから、すぐに飛びついてしまいました」
「とりあえず飛びつく。やってみる。ということか。それじゃ全く方向違いのことをやっていたということもあるだろ」
「いえ、それはありません。そういうことに気付く前に終わってますから」
「それ以前の問題で、終わっているのだね」
「はい、しかし」
「何かね」
「何かよく分からないのですが、その途中で得るものが沢山ありまして」
「沢山」
「はい、沢山、仰山です」
「え、どういうことかね」
「本で言いますと、全体の意味はよく分からないのですが、フレーズ程度は食べられます。ほんの数行ですが、いいことが書かれている。これはいいことを聞いた。いい勉強になったと、満足を得られたりします」
「フレーズ?」
「はい、たとえ話が入っていたり、言い回しがおもしろかったり、知らない言葉が出てきたり、知らない話や、エピソードなどを知ったりと」
「しかし、その本の全体は分からずじまいなのでは、目的が果たせていない。山の頂上ではなく、その途中の瘤に登っているようなものでは」
「はい、そうなんですが、山道にある石とか岩の上に登るようなものです。これはこれで達成感があるんですよ。泥棒が」
「いきなり何だ?」
「捕まらなように早く走る練習をしているとします」
「ああ」
「陸上競技の選手も、早く走る練習をしているとします」
「ん」
「どちらも同じでしょ。走ることでは」
「それは意味が違う。目的が違う」
「でも少しでも早く走る方法を見いだしたり、足腰を鍛えるのが目的なら、同じじゃないですか」
「使い方が間違っていると言っている」
「でも、走り方は間違っていないでしょ」
「まあ、そうだがね」
「または」
「まだあるのかね」
「走ることだけが目的、もあるんです」
「走るために走るのかね」
「はい、目的は走るのが好きなので走るだけです」
「そんな人がいるのかね」
「歩くのが好きな人もいるでしょ。ただただ目的もなしに、歩き続けるのが好きな人が」
「いるかもしれないが、正しい目的のために、走ったり歩いたりするもの」
「はい、分かっています。しかし、どうもそういう目的じゃなく、手段の方が分かりやすくて」
「目的のための手段であって、手段のための手段じゃない」
「手段だけなら楽しいのですがねえ」
「私の話は理解できますか」
「はい、先生の話はよく分かります。しかし」
「何が、しかしだ」
「どちらかを否定したり、肯定すると、何かちょっと違うような気がして」
「じゃ、泥棒の弟子にでもなれ」
「いや、無理です。どうせ途中で投げ出しますから。でも急いで走るときや悪者に追われているとき、逃げ方が少しうまくなるかもしれません」
「もういい、そして、二度とここへは来るな。冷やかしお断りじゃ」
「あ、はい。また来ます」
 
   了
   


 



   

     


2015年1月17日

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