小説 川崎サイト



祝い鰯

川崎ゆきお



 危機を脱した岩村は百貨店地階の軽食堂街を歩いていた。
 岩村の危機は生命に関わることではない。生活上のことだ。もっと言えば生活費のことだ。仕事のことだ。
 その危機が続くと社会生活が危なくなる。こうして一般客として百貨店を歩けない。
 今は晴れて歩ける。仕事の見晴らしがよくなり、収入への不安が去ったからだ。
 それがいつかまた危険な状態になる可能性もあるが、一息つけたことは確かだ。
 そんなとき、岩村は決まってここへやってくる。蘇生したときに訪れる場所なのだ。
 軽食街に天麩羅屋があり、そこで鰯の天麩羅を食べるのが行事だ。
 天麩羅定食を安い値段で出している店だが、ベテランの板前が揚げており、海老の大きさは値段に比例しているが、岩村の食感に合致した天麩羅だった。
 岩村が思い描く海老の天麩羅と、この店との相性がよかったのだろう。
 その日は危機を脱した祝いなので、鰯の天麩羅定食を食べることにした。
 岩村の仕事や、その能力は鰯と似ていた。弱く脆いのだ。歯ごたえは海老ほどにはないものの、量は鰯の天麩羅定食のほうが多かった。安いので盛りも多いのだろう。
 鰯は決して海老にはなれない。スターではないのだ。
 岩村は弱くて脆い鰯に自分を重ねた。しかし収入が安定してくると海老になったような気になり、海老の天麩羅定食を食べていた。
 そんなとき、鰯の天麩羅定食がメニューにあることに気付いた。そして意外とこれを食べている人が多いのに驚いた。
 答えは簡単だった。鰯の天麩羅を出している店が周囲にないことだ。珍しいのである。そしてかなり安くてボリュームがあり、食べ終えると胸焼けが襲い、しばらく何も食べる気が起こらないほどのダメージを受ける。
 岩村が危機を脱した祝いに海老ではなく鰯を食べるのは、これさえ食べられない状態だったことを噛みしめるためだ。安心して祝うのではなく、鰯で戒めるのだ。
 そして天麩羅屋の前に立ったはずなのだが、ないのだ。
「ない」
 串カツの店になっており、店名も違っている。
 岩村は泳いだ。鰯のように軽食堂街を泳いだ。だが、あの天麩羅屋はどこを探しても見つからなかった。
 
   了
 
 


          2007年1月24日
 

 

 

小説 川崎サイト