小説 川崎サイト

 

意識に水を

川崎ゆきお


 人の意識は簡単に変えられる。ただし、変えようとする意識があるかどうかだ。意識は幅が広い。頭で考えたこと、思っていることだけではなく、見る、聞く、嗅ぐなど、それらすべてを意識とすれば、範囲が広いのだ。気絶し、意識を回復するという場合、その意識とは、五感だろうか、記憶だろうか。また、無意識というものもあるらしい。それはあるのかないのかははっきり分からないが、本能的な意識もある。この場合、意識しないでもやっている行動だ。
 その範囲の広い意識だが、意識を変えるとなると、これは生活習慣を意識的に変えるとか、考え方を変えるとか、少し上等になる。そしてここが一番大事だろう。
「どうやって意識を変えるのですか」
「だから、変えないと不都合なことが起こっているとき、変えたくなるでしょ」
「そうですねえ」
「だから、順調にいっているときは変える必要はありません。ただ、その気はなくても徐々に変わっていくものですがね」
「私は最近煮しめのように煮詰まってしまい、にっちもさっちもいきません。閉塞感のようなものに襲われます。まあ、これは攻撃してくるものではないので、自爆のようなものでしょうか」
「何かに行き詰まっておられるのですね」
「そうです。しかし、その脱出方法を考える気にもなれず、惰性でやってます。ここで何とか意識を切り替えたい。何かいい方法はないでしょうか」
「それは大層な意識ですねえ。だから、小さな意識から変えていけばよろしいが、その気はないでしょ」
「はい、そんな小さなことでは何ともならないと思います」
「それはそういう意識の中に入り込んでいるためですよ」
「脱出方法はありますか」
「服を変えなさい。上着を」
「はあ」
「それだけです」
「そんなことで、意識が変わるのですか」
「意識を変えるのは難しくても、服は変えられるでしょ」
「それは、まあ」
「難しいですか?」
「簡単ですが」
「何か気に入っている上着はありませんか」
「ありません。無頓着なもので、いつも同じのを着ています。そういうこだわりがないもので」
「着たい上着がない。靴もない」
「はい」
「じゃ、服屋や靴屋へ行ってみなさい。必ず着てみたい、履いてみたいものと遭遇します」
「そうですねえ」
「見ると分かります。触れると分かります。ああ、これは良いなあとね」
「はい」
「それを買えば気分が変わります」
「でも意識は変わらないでしょ」
「それがあなた、人間の意識なんて単純なもので、蜃気楼のようなものなのですよ。簡単なことでコロッと変わるものです。なぜなら、最初から実体がないからです。ところが服や靴は実体があります。意識に頼るより、そういった藁にすがる方がましです」
「藁ですか」
「それで一瞬気分が変わる。気に入ったものなら、気分が良くなる。これだけで十分なのですよ」
「それでは根本的な解決になりません」
「そんなことは誰にもできませんよ。だから、誤魔化し誤魔化し、やっているのですよ」
「はあ」
 相談者は、それで気に入った上着と、靴を買った。多少気分は良くなり、その気分が抜けない間に仕事を始めた。煮しめのように煮詰まった案件に、水を加えたような感じになり、少しほぐれだした。その勢いのまま、前へ進むと、結構はかどり、先が見えてきた。展開が開けたのだ。
 要は気分転換しただけのことだが、煮詰まれば焦げないように水を差す。ということだろう。
 
   了


   


2015年2月12日

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