小説 川崎サイト

 

山寺の暮らし

川崎ゆきお


 静かな山寺、里からはかなり離れている。当然俗事とは関わらない場所で、西洋で言えば修道院のようなものだろうか。坊主になるということは世俗から離れることでもあるのだが、特にやることはない。あるとすれば悟ることだ。しかし、今はそんなことをやっている坊主は希だろう。
 そこに徳が高いと言われている坊主がいる。長髪で髭も剃っていないが、たまには切るようだ。鼻の下の髭が伸びすぎると唇にかかり、食べたものがよく付く。当然口からこぼしたときも下の髭に付く。
「和尚さん、ご飯ができました」
 仏像のない須弥壇の前でゴニョゴニョとやっている坊主に、小坊主が声をかける。小坊主は何人も変わっているが、ここの和尚もよく変わる。この長髪坊主の自分の寺ではないためだ。こういう山の奥にあるような無人寺を渡り歩いているのだ。小坊主は家事手伝いのような存在で、ここに住み込んでいるが、長くはいない。ある年齢に達すると、殆ど俗界に戻る。いずれも訳ありの少年や青年達だ。
「また、ご飯か」
「はい、できました」
 さすがに本堂では食べない。
 二人は寺の台所へ向かう。本堂とは渡り廊下で繋がっているが、全く別の建物だ。普通の家と変わらない。
「ご飯ばかり食べておる」
「はい、今朝は肉が入りました」
「そうか、それは楽しみだ。煮たか、焼いたか」
「すき焼きにしました」
「おお、それはいい」
「和尚さんの口に合わせて甘辛く煮ました」
「そうすれば、肉の出汁が豆腐に染みて、これが美味い」
「はいはい」
「しかし、食べてばかり。食っては寝て、食っては寝て、もう何十年もそれを続けておるが、一向に悟れん」
「いえいえ、和尚様は徳の高い高僧だと、他の寺で聞きました」
「まあ、それに専念しておるから、悟ったような言葉はいくらでも出る。しかし、なかなか悟れるものではない」
「悟った人などいないのでしょ」
「それは身も蓋もない話になる。少しでも悟りに近付けばそれで十分。しかし、これだけ月日を与えられているにかかわらず、さっぱりじゃ。食ってばかり」
「そうですねえ」
「他に楽しみがないので、食べることと寝ることばかり」
「尼さんでも寄ってくれれば極楽じゃないですか」
「そうかもしれんなあ。刑務所と変わらんが、何処へでも行けるし、束縛はない」
「そろそろ飽きられて、別の山寺へ移るのですか」
「そうじゃなあ、住まんと傷むからのう。ここはもう二年も住んだから、いいじゃろ。三年近く無人の寺があってのう。そこへ行くように言われておる」
「僕はどうなるのですか」
「よければ付いてきなさい。他に用がないのならな」
「はい、そうします」
 この宗派には、この種の要員がおり、この坊主が殆ど独占していた。
「どうです。味の具合は」
「ああ、とても美味しい。賞味期限があるのに冷蔵庫がない。腐らせてはいけないので、残りの肉も、全部入れるように」
「はい、和尚さん」
 何かよく分からない山寺だ。
 
   了




 

 


2015年2月17日

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