小説 川崎サイト

 

お歯黒べったり

川崎ゆきお


 妖怪博士付きの編集者が、妖怪図鑑を持って妖怪博士宅を訪ねた。その図鑑は妖怪博士が監修したものではない。
「どの妖怪が好きですか」と、編集者が訊ねる。
 妖怪博士は、この図鑑を見るのは初めてだ。古い妖怪本はよく見ているが、最近出た本は見ていない。それで、編集者が参考のために持ってきたのだ。
 妖怪博士はぺらぺらとページをめくりながら、あるページで止まった。
「これは怖いなあ。好きじゃないけど、怖い。これは傑作だよ」
「どれですか」
 妖怪博士が指差す。
「お歯黒べったりですね」
 日本髪、花嫁がよく頭に被っている角隠し、これは牛の角を隠すような幅の広い鉢巻きに見える。そして真っ白な顔に口だけがある。で、笑っており、口は真っ黒。お歯黒を塗っているのだ。
「この妖怪が怖いねえ」
「お歯黒べったりですからねえ」
「今見ると花嫁衣装だが、あれは寺参りのときに被ったようじゃな」
「解説によりますと、脅かすだけで、危害はないとか」
「大きな口で、お歯黒の口でゲラゲラ笑われたのでは気味悪いだろう。まさに妖怪。バケモノじゃ」
「先生は、これが怖いのですか」
「一寸ページが止まっただけじゃが、いかにも妖怪らしさがある。これはのっぺらぼうのようじゃが、中途半端なところが怖い。口があるのだからな」
「この原型は何でしょうか。モデルのようなものは?」
「下品な口でゲラゲラ笑う。出っ歯で、歯茎丸出しでな。そこだけ見ているとグロテクスじゃ。しかし、口だけの妖怪ではまずい。口だと思わんかもしれんしな。唇だけでは分かりにくい。別のものと勘違いしそうじゃ。だから、ベースが必要。この場合顔じゃな。必要なのは口だけ。だからあとは省略。これで口が非常に目立つ」
「角隠しは何でしょ」
「女性は角を出すようなので、それを隠すため。出現場所は寺の入り口付近。そこで脅かそうと待ち構えておる」
「普通の道とか、町とか、家の中とかには出ないのですか」
「出るも出ないも、そんなもの最初からおらんのだから、調べようがなかろう。のっぺらぼうも紀ノ國坂だけに出たりする。女性のお喋りが怖いということもあるが、口は災いの元。だから、その災いがそのまま出ておる」
「男じゃだめですか」
「白い顔が特徴。口が目立つためには白い方がいい。白粉で塗り壁のようになっていてもいいのう」
「解説では危害を加えないとなっていますが」
「脅かすだけ、びっくりさせれば成功か」
「あ、はい」
「危害をくわえんところが妖怪らしく、のんびりしておる。悪戯っぽいところが好ましい。たったそれだけが言いたいような」
「はあ?」
「だから、子供っぽい。無邪気だ。しかし、気味が悪い。怖い」
「心臓麻痺起こしますよ。こんなのに出合ったら」
「そして、ゲラゲラ歯茎丸出しで笑われるとたまらんだろうなあ」
「先生が怖がられたポイントは何ですか」
「あるものが、ないことか」
「口だけですからねえ」
「口は怖い。穴じゃからなあ。あれば肛門まで繋がっておるし、洞窟の入り口のようで、不気味なんじゃ」
「しかも入り口の歯も黒いのでなおさらですねえ」
「そうじゃなあ、お歯黒が怖いんだろうなあ。その時代結婚すると女性はお歯黒を塗る。これで男は寄りつかん」
「虫歯で真っ黒のように見えますからねえ」
「見た目が悪い」
「はい」
「しかし、この顔、二度と見たくない」
 妖怪博士はページをめっくった。
「それで、今日の用事は何だ」
「別にありません。これは他社の本ですが、うちでも先生の監修で妖怪図鑑を出したいと」
「電書じゃないだろうなあ」
「はい、紙の本です」
「そう願いたい」
 
   了





2015年2月19日

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