小説 川崎サイト

 

付喪神

川崎ゆきお


 神にも色々あるが、特定の形のある神として付喪神がいる。しかし形を表した神は俗っぽい。付喪神、喪に付くと書く。喪に付くのか、喪が付くのか、どちらかだろう。喪に服すとか喪中などと言うように、亡くなったあとの行事のようなもの。ここで死んでいる。または消えているが、ここでは喪を忌みと捉えると分かりやすい。忌みが付くのだ。忌み嫌うの忌みであり、神と言うより縁起でもないバケモノに近くなる。実際には付喪ではなく九十九のことで、多くの年と言うことだろうか。百年に一年足りないが。付喪神は物のことで、生命体ではないので、死ぬと言うことはないが、壊れる。割れる。崩れる。物は潰れやすい。このときの物とは器物のことだろうか。道具や器物などが百年経てば付喪神になるらしい。猫又とお友達かもしれない。どちらも百年。ただ、猫は百年は無理だが、道具や器物は百年以上経過しても、まだまだ残っている。すると、付喪神だらけになるのだが、それは最低条件で、何でもかんでも付喪神になるわけではないようだ。これは一種の妖怪で、昔は神も妖怪も似たようなものだったのだろう。それほど区別するほどの差がなかったりする。特に日本は神が多いので、ピンからキリまでいる。
 器物は神にはならないが、依り代にはなる。神などが宿る物だが、付喪神となると、物に取り憑いたような印象がある。それが古い茶碗だったりすると、茶碗のオバケではなく、オバケが茶碗に憑依しているようなものだ。道具や器物ならいいが、人形とかに入り込まれると、これは大変だ。人に似ている物に取り憑くややこしいものに比べ、器物では、もっと単純な物が入り込むように考えられる。または猫又のように猫が化けるように、物そのものが化けたものかもしれない。一種の変身だ。しかし、夜中に茶碗から足が出て歩き出す程度で、それ以上の高等芸はないようだ。
 当然それらは人が考えたことで、そんな神がいるわけではない。
「百年ですか。そんな物は持ってませんなあ」
「でも古道具屋などで買った物のの中に百年以上経過しているものがあるでしょ」
「いや、古道具の趣味はありません」
「じゃ、あなたのおうちには付喪神になりそうなものはないと」
「化けるようなものがないので」
「よく捜してみなさい」
「何度も引っ越しましたから、何十年も前の物は捨てたりしていますねえ。ああ、ありました」
「そうでしょ。あるでしょ、捜せば」
「位牌」
「位牌はさすがに付喪神にはなりません。これは避けるでしょ。入る側も。縄張りが違ったりします。これはやはりタブーです。それに位牌は霊と繋がっていますから、物とは少し違うのです」
「妖怪も義理堅くタブーを持っていますか」
「位牌に足が出て歩き回るというのはやり過ぎでしょ」
「位牌が動く話はありませんか」
「付喪神じゃないですが、そのご本人が入り込んで、動き出すと云うのは記録にあります」
「本当ですか」
「四国の話ですがね。集団で上意討ちされた人達ですよ」
「ほう」
「お寺で合同慰霊祭のようなものをやっているとき、ずらりと並んでいた位牌が行列を組んで寺から出て行ったとか。慰霊されたくないのでしょうなあ」
「嘘でしょ」
「見た人がいます。大勢」
「まあ、それが本当だとしても、位牌は本人専用なんですね」
「そうです。だから、妖怪ごときは遠慮します」
「どうしてですか」
「だから、人が作ったルールのようなもので、そこは弄っちゃだめだということでしょ」
「でも茶碗はいい」
「金槌でもいいし、鉋でもいい」
「火箸は」
「それもありです。これはかなり細いですがね」
「火箸が歩いている姿を見たいものです。これは足を出す必要はないでしょ」
「はいはい。蛇足のようなものです」
「箸はどうですか」
「百年物は滅多にないでしょ」
「しかし、亡くなった人の箸を取っておいて、百年経過したものなら」
「ありです」
「火箸よりも、箸の方が軽快そうです。これは走らせれば、どちらが早いか、見ものですよ」
「先ほども言いましたように、百年経過は条件で、全て付喪神になるとは限りませんから」
「百年前のタイプライターなんて、自動タイピングしそうですねえ」
「楽器もそうです。勝手に鳴り出す」
「有り得ませんねえ」
「あり得ないから妖怪なんですよ。あるものなら、わざわざ妖怪化する必要はない」
「はい、それで、物を大事にしましょうという教訓は、これにはないですねえ」
「古いと化けといいう単純な話です」
「はい」
 
   了





2015年2月20日

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