小説 川崎サイト

 

妖怪談義

川崎ゆきお


 妖怪博士宅の狭い庭に冬の雨が降っている。小梅はすでに満開を終え、白っぽく散りかけ、雨で幹がいっそ黒く輝いている。
「雨ですねえ。雪じゃないから、今日は暖かいはずなんですが、肌寒いです」と、妖怪博士付きの編集者がいつものように訪ねて来ている。
「一雨ごとに暖かくなる」
「はい」
「春の高校野球の決戦の頃になると、もう冬は去る」
「ああ、そうですねえ」
「私は小梅を見ているだけで、季節が分かる。これは気候のカレンダーでな、少し鈍いが」
「天気が分かりますか」
「そこまでは分からん。空を見れば分かる。梅など見なくても雨が降っておる」
「寒い頃でもこの梅、咲いていましたねえ」
「気温だけで決まるわけではなさそうだ。咲く時期はな」
「そんな話より、今日は妖怪の発生について話してください」
「以前にも語ったんじゃないのかな」
「忘れました」
「録音していたはずだが、あれはどうした」
「ああ、あれは消えました」
「そうか」
「また、お願いします」
「これは妖怪学の基礎なので、地味な話になる」
「はい」
「おかしなもの、変わったものが始まりじゃ」
「妙な形とかですね」
「顔かたちなどが分かりやすい」
「そこから妖怪へ、どう変化するのですか」
「人の顔などはよほど変わっていても、それ以上変化などせん。しかし、それをさらに誇張させ、もう人の顔を超えたところまで変えれば妖怪になる」
「自然に変わるわけじゃないのでしょ」
「そう、人が想像で変えるのじゃ」
「だから、そこから先は嘘になるわけですね」
「そして、その人が妖怪になるわけじゃない。ヒントを与えただけじゃ」
「想像の翼に貢献する顔だったのですね」
「一番、妖怪にされやすいのは狐と狸じゃ」
「はい」
「狐顔と狸顔を意識しながら、道行く人を眺めてみなさい。どちらかに分類される。しかし、その人達は狐狸ではない。人間だ。だが、狸をそこに見るし、狐をそこに見る。いくら狐に似ているとしても、本物の狐と比べれば、あまり似ておらん。当然じゃな、人と狐は違うし、土台が違う」
「はい、眠くなりました」
「基本、基礎は眠い」
「はい」
「そこで第三のものが必要になる。狐と人間とでは飛びすぎておるので、その中間の形をな」
「はい。その第三の形とは」
「その形を形而上学という」
「先生、飛びすぎです」
「君は寝ておったんじゃないのか」
「聞いておりますよ」
「それを狸寝入りという」
「はい」
「想像上でしか存在しないもの、これを形而上学での物ということじゃ。だから、狐のような奴とは、そこじゃ」
「じゃ、形はないのですね」
「狐狸の場合、形を与える必要はない」
「僕が想像しているのは、異様な形をした妖怪です。あれの原型は動物でしょ」
「現実にあるものが変形したものじゃが、それでは奥行きがない。ただの見世物じゃないか」
「珍獣のような」
「そうではなく、心根のようなもの、精神的なものが妖怪としては良種じゃ」
「そのトップが狐狸ですか」
「これは万能性がある。顔かたちではなく、心の形を言っておる」
「今ので、眠り爆弾が炸裂しました。それにこの雨は眠気を誘います」
「物心というのがある」
「先生、またややこしいことを」
「物心がついた頃、とか言うだろ」
「言います」
「この、物が曲者なんじゃ」
「あ、はい」
「人は物ではなく、者じゃろ」
「ああ、漢字で書くとそうなりますが、物体の物でもいいんじゃないですか」
「者は特定の人、物はそれらの者。どちらでもいいとしても、物心というのが、どうも怪しい」
「物に心などありませんからねえ」
「物体の物にはな。しかしあると想像しての話が形而上学なのだ。赤ん坊の肉体。脳みそも含めての物じゃ」
「先生、その話はもうやめましょう。要するに妖怪の発生も物が先か心が先かの話なんですね」
「唯物論と唯心論のようなもの」
「もう寝ます」
 編集者は本当に眠り始めた。そこはホームゴタツの中なので、風邪を引くことはないだろう。
 妖怪博士は無理に話をややこしくしたようだ。妖怪の発生など、彼にもよく分からないので、思い付いた言葉を並べて、煙に巻いたのだろう。この録音ファイルはきっと消されるだろう。
 そんなこととは関わりなく、冬の雨は降り続いている。
 
   了



   

 


2015年3月3日

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