小説 川崎サイト

 

百物語

川崎ゆきお


 怪しいもの、不思議なもの、神秘的なものの極限はどこにあるのだろうか。大概のものには飽き足らなくなったホラーマニアは、それで退屈していた。これは人が作った想像上での話では、もう限界があり、それ以上の奥がないと知ったからだ。怖さのレベルが低いというわけではなく、また怖くなくてもいいのだ。神秘の奥底、そこは底なしの穴のように深さがあるような。
 幽霊退治なら、幽霊を退治すればそれで終わってしまう。神秘ごとも解き明かされると、何でもない現象だったりする。
 怪しいものを探し求めるのが趣味の好事家高橋は、それで退屈していた。もっと底知れぬほどの怪しさはないものかと。
 それで、さらにその方面では先を行く宗像という友人を訪ねた。彼は明らかにレベルが違っていた。顔かたちは普通だが、神秘世界の先端を行っていたのだ。
「内部ですか。それも言い古された世界ですよ。怖いのは外部ではなく、内部だと」
「そうなんですがね、高橋さん、人がただ単に空想するだけの怖さではなく、その想像の中に何かが介入してくるのです。こいつは内部のはずなのに、つまり脳内での出来事のはずなのに、そうじゃなく、明らかに外からの介入です」
 話がとんがりすぎて、さすがの高橋も付いて行けない。この宗像という人は今どの地点に達しているのかを。
「作り事は怖くないのですよ。これは基本的に了解されますねえ」
「はい、怖くないです。映画も小説も」
「実話もありますが、それは眉唾が多い。ただ、それも含めて、それを読む、見る、聞く、何でもよろしい。それらは単なる作り物です。しかし、それが内に入ってから、いろいろなところとコンタクトするようです」
 このあたりを一般的には電波系と呼んでいる。
「それは自家中毒のようなものですか」
「それなら脳内だけの話です」
「じゃ、そこに宇宙人が介入してくると」
「宇宙人でも心霊でも何でもよろしいのですよ、高橋さん」
「霊の話をすると、霊が寄って来るって、アレですね」
「百物語をするとややこしいものが来る。だから最後はお祓いをして終わらせる。まあ、そういうことです」
「それって、最先端ですか」
「そこなんですよ高橋さん。今の脳生理学、脳科学の発達が逆に邪魔をしていましてねえ。何でもかんでも脳のなせる技。神経のせいにする。それで鈍感になってしまった。百物語などをやっていた江戸時代、まだ人はそういうものを信じていた。この違いは大きいのです。たとえそれが錯覚であってもね」
「で、結論は」
「要するに受信能力が高いのです。だから、今なら否定し、スイッチがオフになるところ、オンのまま通らせる。すると、モンスターなどはうじゃうじゃ出てまいりますよ」
「だから怖いと」
「自分で発生させたようなものですが、実は外部から入り込んで来たとすれば、どうです」
「それは取り憑かれると言う意味ですか」
「そうです」
「それはもう、解決済みなんじゃないですか。神経的、精神的な病気のようなものでしょ」
「はい、それで納得させないと、社会は安定しませんからね」
「ほう」
「怖さの極限は発狂です。これは自爆ですなあ。だから、怖い物を欲しがるのも程度問題で、人は耐えられません。だから、発狂します。これは簡単ですよ。自分の顔を鏡でじっと見ながら、いろいろな顔を作ってみなさい。特に怖い顔を作った場合、効果大です。狂います。まあ、その前に鏡から目をそらせますがね」
「つまり」
「狂いたくないからです」
「普通ですねえ」
「はい」
「それで、外からの介入はどうなりました」
「自分の中に外側があるのです」
「はあ?」
「自分の内側に外側があるんです」
「ほう」
「分かります?」
「それは憑き物とどう違うのです。憑き物は外から来るのでしょ。その外側が内側にもあると」
「その外側は内部の外側で、外側にもいろいろとルートがあるのですよ」
「それは怪しい話ですねえ」
「そうです。話そのものが怪しげな話だと言うことですかな」
「それで、結論は」
「まあ、そう急がないで、高橋さん」
「はい」
「結論はよく分からないと言うことです」
「つまり、僕たちの体の中の、その中に外側が含まれていると言うことなんでしょ。そしてそれは目の前にある外側ではなく、別の外側」
「そうに違いないのですが、これはいろいろな形式で言い方が異なります。科学的に説明したいところですが、それができない構造物なんですよ。仕掛けです。だから、百物語をやった後はお祓いをする。そういうことを見直すべきだと私は思いますよ」
「じゃ、昔の迷信を信じろと」
「その方が、内部から外部に開いた穴の数が大きくなったり、多くできたりして、ディバイスが増えるわけですから、これは神秘家にはたまらんのです」
「それで、宗像さん」
「はい」
「あなた、そんなに穴ぼこだらけにして、何か別種の不思議なことと遭遇しましたか」
「しません」
「あああ、はい」
「開けすぎたようでした」
「ああ、結論が出ました」
「なんと」
「程度問題だと」
「はい、ほどほどがよろしいようで」
 
   了


2015年3月6日

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