小説 川崎サイト

 

一軒茶屋

川崎ゆきお


 三軒茶屋が二軒茶屋になり一軒茶屋になった。山の頂にある峠の茶屋だが、山越えの人が少なくなったため、一軒になった。その後、山登りを楽しみ為の山茶屋となっていた。昔はここが国と国との境界線で、結構往来があった。といっても隣の国へ出るわけではなく、市が立っていたのだ。山頂付近には国境があるのだが、しっかりとした境界線はなく、坂のこちらとあちら程度の曖昧なものだ。また関所などはなかった。ここは街道ということではなく、裏道だったのだ。わざわざ山越えするような用事はなく、また山越えするより迂回した方が楽なためだ。山道は荷駄などが通れない。馬もこの山道には向かない。段差が多いためだ。
 今ではハイキング地図に一軒茶屋として地名が残っているが、これは茶店がある場所程度の呼び方で、正式な地図にはその名はない。似たような山越え場所に極楽茶屋というのが別にある。こちらは山を下ると温泉に出る。つまり山頂近くに二カ所の峠道があり、それぞれに茶店があるということだ。
 三軒茶屋で残った一軒と極楽茶屋は同じ家系で、親戚だ。先祖は山の民だったらしいが、それは遙か昔の話。山仕事や猟などで暮らしていたのだが、山を下り、里に移っている。最後まで残ったのが一軒茶屋と極楽茶屋の家族だ。山暮らしに慣れているため、山の頂でも暮らしていけた。
 しかし、冬場は閉めていた。客が来ないからだ。ハイカーしか寄りつかない場所なので、当然だろう。そして、極楽茶屋が先に閉鎖し、今は極楽茶屋跡と名だけは残っている。一軒茶屋の方は、この山脈では一番高い場所にあるので、ハイカーがよく来る。しかし山頂の尾根伝いにドライブウェイができたあたりで、展望台やドライブインに客を取られ、茶店は寂れた。山越えなら、もっと低い箇所がいいのだが、絶壁が多く、結局一番高い山頂を越えた方が坂が穏やかなためだった。
 そして、最後まで残っていた山頂の茶屋も、一軒茶屋という名だけ残して、これも消えた。
 峠の茶屋で市が立ち、領主や村とは関係しない特別な場所として賑わっていた時代、刃傷沙汰があった。仇討ちだが両者とも傷つき、そこで亡くなっている。有名な話ではないので、一軒茶屋の決闘として語り継がれることもない。だが、茶屋の近くに石饅頭が今も二つ残っている。
 
   了

 


2015年3月10日

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