小説 川崎サイト

 

年寄り噺

川崎ゆきお


 古いものを捨て、新しいものに乗り換えた後、何となく不都合が起こり、それなら、以前使っていたものの方がよかったのではないかと、戻してしまうことがある。ただし戻せるものに限られるが。
「ありますねえ。新製品に憧れて、買ったのですが、いかんですわ」
「いけないと」
「ものは進んでいるのですがね、不安定なんです。新機能も大したことはなくてねえ。それにそんな機能、一生使うようなものじゃなったり」
「電化製品ですか」
「カメラやパソコンです。他の家電もそうですがね」
「しかし、古いタイプがよくて、それに馴染んでいても、もう売っていない場合があるでしょ」
「大ありですなあ。そんなもの店員に言っても知らないと言うしね。ついこの間まで、ずらりと並んでいたのにねえ」
「そういうとき、どうします。新しいのを買いますか」
「選択肢がないですから。古いのはもう売っていない。だから今風なのを買うしかない。そういうことです。ここでは自由度はないわけですからなあ」
「しかし、何十年も前の家電など、残っていますか」
「四十年前からある天井の蛍光灯なんかは、残ってますよ。これをLEDに変えたいのですが、根っこから変えないと駄目でしょ。これは工事が必要ですよ」
「その前は」
「その前」
「だから、蛍光灯になる前です」
「普通の電球でしたよ。今なら百円で売っているような球ですよ。それは子供の頃ですがね」
「その前は」
「そこまで古い家じゃないですが、田舎の実家に古いランプが残ってましたなあ。灯油でしょうか」
「その前は皿に油を入れるやつでしょ。その前はローソクでしょ」
「ああ、そうですなあ、古いものが安定していると言っても、そこまで古いものは使えないですなあ」
「ローソクは今でも健在ですよ。停電したときとか。それに電気がいらないし、道具と言っても燭台があればいい」
「安定していますなあ、古いものは」
「しかし、ローソクや灯油から電気になったとき、便利になったんじゃないですかねえ。明るいし。火をつけなくてもいいし。空気も汚さない」
「それが今はLEDですか」
「長持ちしますよ」
「でも、あの明かり、何か病院臭いです。栽培されているようで」
「まあ、裸電球の暖かさもいいですが、私はやはりローソクです。隙間風の状態なんかも分かりますからね。ゆらゆらと」
「御灯明でたまに付けることがありますがね。仏壇のローソクです。しかし、これもローソクのような形をした電球も出ていますなあ。あちらのほうが便利だ。まあ始終付けたり消したりするわけじゃないから、うちは亀山ローソクのままです」
「いや、ローソクも、あなたオシャレなものが出ていますよ。これは癒やし効果があるとかで、風呂場でそれを灯したりするらしいですぞ。絵柄入りでそれは綺麗なものです」
「レトロですなあ」
「いやいや、レトロという言葉そのものが、もはやレトロですよ」
「じゃ、いっそ懐古趣味といった方が安定しているかも」
「神社の祭りなんかで並んでいる提灯、あれも電球でしょ」
「それを言い出すときりがありませんよ。やはり便利な方を選ぶんですよ」
「はい」
「古代から続く儀式のようなものは別かもしれませんがね。これはお金がかかるでしょうなあ。衣装もポリエステルの生地じゃだめでしょうからねえ。絹なんて高いですよ。留め具も樹脂じゃだめでしょうし、大昔のままを引き継ぐのは大変だと思いますよ」
「何かよく分かりませんが、古い馴染みのあるものが消えていくのは淋しい限りですよ」
「しかし、今風な新製品を買うとテンション上がったりしますよ。時代の恩恵もあるはずですからなあ」
「どうも年寄り臭い話になりました」
「年寄りじゃないですか」
「ああ、そうでした」
 
   了

   



2015年3月18日

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