小説 川崎サイト

 

今日も休む人

川崎ゆきお


 土曜日、今日は何もしなくてもいい日だ。と高田は決めている。土日祭日は何もしなくてよい日。この何もしないとは、仕事や有為なことをしなくてもよいという意だが、同時に特別なことをしてもいい日だ。平日が穢れの日だとすれば、晴れの日と言うことになるが、月に何度もあり、これは多すぎる。
 ところが高田は仕事を最近してない。そのため、何もしなくてもいいだらけのため、ここで往生している。毎日休んでいるようなものなので、もう休む必要はない。そのため、特別な日として持っていくしかないのだが、何処へ持ち込めばいいのかが特にない。すると平日と同じパターンになる。それで困るわけではないのだが、やはり土曜日の嬉しさのようなものがある。日曜もそうだ。それは、外に出たとき、歩いている人の服装が違うし、また表情も違う。通勤時間帯でない車両に乗っているようなものだ。
 特別なこと、楽しみにしているような行為だが、これは仕事をやっていない関係上、平日でもできることだ。しかし、何もやっていない。やはり仕事があってこその休みであり、自由時間なのだ。ずっと自由ではメリハリがないし、休みの日の有り難みもないし、休日までの日数を数える楽しみもない。
 よく晴れた土曜の春。心が浮かれている。これはまずいことになったと高田は心配になる。この浮かれ加減が危ないのだ。特別な何かをやりに行くのならいいが、それがない。そして無理とにこしらえて出掛けることになる。これがいけない。
 しかし、心の浮き具合を押さえ込むことができないため、高田は仕方なく、行楽にでも、あるいは買い物にでも行くような服装で外に出た。部屋にいると暴発してしまいそうなためだろう。少し外に出れば気が済むかもしれない。それで、とりあえず駅まで歩いた。ここまでは無目的でもできることだ。目的地が駅のため。しかし、駅に着いたとたん往生し、難儀した。立ち往生だ。何処までの切符を買えばいいのかが分からない。行き先がないのだから、当然だ。
 こういうことは過去何度もあった。そして、都心部の終点まで出て、繁華街をうろついたりしたものだが、あまり良い結果を残さなかった。それよりも郊外へ向かった方がまだしも被害は少ないことを知っていた。
 分かっている判断はその程度だが、これは手がかりとなり、指針となる。それで高田は上りではなく、下りの電車に乗った。
 ハイキングでも行くのか老人が大きなリュックを膝の上に乗せている。目的があるのだ。家族ずれもいる。これはおおよそ目的地が分かっている。三つほど先に大きな遊園地があり、そこでイベントがあるためだ。少し混んでいるのは、そこへ行く人が多いためだろう。みんな遊びなのだ。
 その中で、一人静に、しかめ面で、座禅でも組んでいるように座っている中年男がいた。そういうのは見たくない。
「分かったぞ」
 とその男が言ったのではなく、高田が呟いたのだ。これでいいのだと。それは、こういうものを見学するのが目的。それでいいのだ。人が遊んでいるのを見るのが目的。高田は大きな問題を解決したように、また呪文から解き放たれたような解放感を覚えた。
 その気になり、車内を見ると、乗客の一人一人のキャラクターが立ってきた。この人は貫禄があるし、良い身なりだが、案外会社では下っ端で、見掛け倒しの人じゃないかとか、貧弱そうで、髪の毛も立っている人で、首元を見ると、襟が少しずれているが、意外と出来る人で、誰もが一目置くうるさい人だったりする。全て想像だ。
 これはいけると思い、高田は出来るだけ人が多い、遊園地前駅で下りた。
 そして、駅のすぐ前でソフトクリームの屋台が出ていたので、それをなめながら、ゆっくりとした歩調で、沿道の店や人などをなめるように見ていた。
 その高田の挙動を観察している人がいたとすれば、高田はどんなキャラクターとして立ち現れていただろう。
 
   了


2015年3月25日

小説 川崎サイト