式神と毒男
川崎ゆきお
岩田は布団の中で目覚めた。よくホームゴタツの中でうたた寝をし、そのまま朝を迎えることがあるためだ。コタツで目覚めたときはそのまま丸寝している。ただ、そのままでは出勤できない。帰ってから一応部屋着に着替えたためだ。その部屋着が寝間着になればいいのだが、コンビニへ行ったり、自販機にも行くので、寝間着ではまずい。
蒲団で目覚めようがホームゴタツで目覚めようが、いやなものはいやだった。起きるのがいやなのではなく、起きてからすぐに行く会社がいやだった。会社が嫌いなわけではなく仕事が嫌いなわけでもない。そこにいる人がいやなのだ。全員ではない。一人だけ。これがガンのような存在で、毒そのもの。これは岩田にとっては毒だが、他の社員にとっては薬かもしれない。
その毒男と顔を合わせ、毒を吹きかけられることが岩田の仕事内容のようなものだ。その我慢代として給料を貰っているのだと思えば、納得できるが、仕事内容ではなく、この毒男の毒対策が仕事になっているのは、もう何かよく分からない世界に入っている。しかし、ここで身を引けば、収入がなくなる。せっかく就いた正社員で、もう岩田の年では何処も雇ってくれないだろう。ただ、毒男がいない職場なら、仕事の内容は問わない。どんなことでも我慢できそうだ。
そして、今朝、もう毒対策も尽き、何ともならなくなっていた。その毒男、威張る、偉そうにする。人を小馬鹿にしたような態度に出る。初めから岩田に悪意を抱いているわけではなかったようだが、態度が大きい。ただ、それは他の同僚に対しても同じで、彼らは上手くすり抜けていた。適当に話を合わせたり、逆に愛想よく振る舞った。しかし、岩田はそれができなかった。何となく面白くないのだ。
その高圧的な態度は、高圧ガスのようで、毒素が濃い。何もそんなに威張らなくても、または偉そうに言わなくてもいいのにと思うほど高圧的なのだ。
岩田は色々な対応を試みた中で、その種の悩みを聞いてくれる人に相談したことがある。すると、そういう偉そうにしている人は実は可哀想な人で、本当は非常に弱い人だとか。弱い犬ほどよく吠えるようなもので、内面は弱く、本当は気の弱いケツの穴の小さい人で、威嚇しないと、付け込まれそうなので、キャンキャン吠えているのだと。
そうか、可哀想な人なのか、脆い人なのか、気の毒な人なのか、弱い人なのかと、そこでは納得できたが、実際にはそんな話は気休めにしかならない。
それで、万策尽き。岩田の方が尻尾を巻いて退職とも考えたが、あの毒男さえいなければ、悪い職場ではないのだ。本当はいい職場で、同僚も大人しい人が多い。だから毒男が発生したのだともいえる。誰もあまり文句を言わないからだ。それで毒男が調子に乗り、のさばったのだ。
毒には毒を、だが、岩田は毒づけるような性格ではない。そんなことをすると興奮して、一日がしんどい。
そこで思い付いたのが、呪術だった。この発想がそもそもおかしいのだが、他に手はないのだ。つまり呪うのだ。
今は平安時代ではない。そんな呪詛をやってくれる人などいないだろう。だが、万策の次、つまり一万を越えたところの一万一番目の策が呪詛なのだ。策は万で尽きたので、これはもう策でも何でもない。だから、ただのマジナイのようなものだ。
万策の一次郎という呪詛屋を岩田はネットで見付け、金を払って、式神を作って貰った。これはフォームに色々チェックを入れたり、記入することで、目的の式神を作ってくれる。それは展開図のような画像だ。それをダウンロードし、折り目で折り、曲げるところは曲げ、のりしろのあるところはそこでくっつける。プリントアウトは自分でする。だから、そのときの紙が問題で、いつも使っているようなコピー用紙やPC用紙ではなく、クラフト紙を推奨している。薄いが張りがあり、強度がある。また屋外向けとしてなら油紙が好ましいとか。式神を屋外で作ることもあるからだ。
それでできた式神は、紙飛行機のようなものだが、かなり平べったい。試しに飛ばすが、すぐに落ちる。実はこの式神が直接毒男の元へ飛ぶわけではなく、その式神に念か何かは分からないが、エネルギーを吸い取る装置のようで、ある一定の量になると、目には見えないが、本物の式神が飛んで行くらしい。
そのためには、負のエネルギーをもっと溜め込まなくては、式神も燃料不足で飛んでくれないのだ。
翌日から岩田は、その毒男のペースに自ら填まるような行為を繰り返し、毒男の猛毒を普段の三倍も四倍を受けて帰って来た。そして、その念を紙の式神に注ぎ込んだ。
以前よりも毒男は調子づいたのは言うまでもない。岩田の方が仕掛けたためだ。毒男が怒るように怒るように。それで、毒男もピークに達したのか、暴言を吐くようになった。さらに手を上げるところまで来たとき、結果的には退職となった。
つまりパワハラなのだ。
毒男がいなくなったので、もう式神は必要ではなくなった。その後、負の念を式神に注ぐこともなくなったためか、その式神、紙の張りをなくし、しぼんだようになった。そのまま放置したためか、何かの下敷きにでもなったのか姿が見えなくなった。ゴミと一緒に捨てたのかもしれない。
了
2015年3月26日