小説 川崎サイト

 

桃姫奇譚

川崎ゆきお


 沼田は暇を持て余しているのだが、あっという間に一日が終わる。朝起きるとすぐに夜になり、もう寝ないといけないと言うほどではないが。それなりに間がある。そうでないと、一瞬にして一週間一ヶ月、一年が過ぎるだろう。しかし一年前の今頃のことを考えると、それは一瞬のように早いと感じる。これはメリハリのない暮らしをしているためで、昨日と同じ事を今日し、また明日もしているので、どの日の一日も似たようなものだ。ただ、季節の移り変わりだけは覚えているので、同じことをやっている場合でも背景が違う。着ている服が違う。掛け布団の種類も違う。夏など掛け布団そのものを使っていない。
 酔生夢死と言われているが、何もしていないようで、結構何かしている。それで結構一日が忙しい。暇を持て余しているわりには。
 その暇な自由時間に、凝ったことをやったり、何かに熱中しているわけではない。特に趣味はない。ただ一人暮しのなので、食べるものを自分で用意しないといけない。三度の食事と二度のおやつだ。さらに間にコーヒーを飲んだり、お茶を飲んだりする。食べて飲んでいる時間は短いが、それらを用意する時間は結構かかる。食材をスーパーなどに買いに行く場合でも、往復一時間はかかるだろう。自転車で、さっと行き、さっと戻れば別だが、根がのんびりした性格なので、店内で色々と物色するのが好きなのだ。買いもしないような果物をじっと眺めていたりする。そして値段を見て、下がっていれば、少しは心が動くが、果物など食べなくても死なない。だから一度も買ったことがないのだ。ところが、ある日、桃を見たとき、これは違うと思った。果物の桃とは違うのだ。これは直感だ。そんな感性は沼田には最初からない。だから、ボケたのだろう。
 その桃は桃太郎タイプで、つまり中に何かが入っている桃なのだ。桃太郎は等身大の赤ちゃんなので、それなりに大きい。しかしそんな大きなものが世の中にあるわけがない。それは桃ではないだろう。カプセルだ。その点、スーパー内で見た桃は普通のサイズだ。赤ちゃんを布で包むように、白い柔らかそうな繊維で、その桃は包まれていた。五つ並んでいる中の一つだ。他の桃には何も入っていないはず。種だけだ。しかし、左から二番目の桃は、何かが入っている桃なのだ。それが沼田には分かる。それは姫系だ。桃姫なのだ。お雛さんのような小さな女の子が入っていると見た。
 そこで、これは次元の違うことをやるわけなので、決して果物の桃を買うわけではない。桃姫を買うのだ。
 だから、けち臭い沼田も、値段とも相談しないで、その桃をレジ籠にそっと入れた。傷みやすい果物を取り扱う以上に、中には桃姫の赤ちゃんが入っているのだから、当然だ。
 スーパーで売っているような桃だ。いくら高くても一万円もしない。だが、姫入り桃なら、そんな値段では買えない。それよりも売っていないだろう。
 そして、他の食材を適当に買い、もうこの桃に夢中になってしまったため、適当な惣菜にした。帰ってから作る気がしないのだ。先ずは最初に、まな板に、この桃を乗せ、そっと包丁を入れるのが先だ。
 それで戻ってから沼田は台所ではなく、縁側にまな板を持ち出し、そこに桃を置き、包丁を入れた。
 桃など剥いて食べるもので、包丁で切るのはあとなのだが。また、丸かじりが多いため、桃に包丁など入れたことがない。それも新鮮だった。もういつもの昨日と同じような今日ではない。もしかするとお伽噺になるよう不思議な話なのだ。日常ではあり得ないが、川に洗濯に出たお婆さんも、日常内で桃と遭遇しているではないか。決して桃太郎を求めて、川へ行ったのではない。
 包丁を入れてみると、かちんと何かに当たった。種だ。それを避けたので、真二つにならなかったが、パッカりと割れた。桃を切らないのは、やはり種が入っているためだろう。
 桃尻とは言ったもので、桃の皮の産毛がいやらしい。それにこの丸みや色も。それはいいが、中には何も入っていなかった。
 ガッカリした沼田は、その場で、皮を剥き、一気に食べた。流石に桃など缶詰以外で食べるのは久しぶりで、値段も高かったので、満足を得た。ただ、果汁を結構垂らした。これは後で考えると羊水だったのかもしれない。
 そして、残った種をぽいと庭に捨てた。
 当然、桃が芽を出した。桃の種を投げた場所は忘れたが、他の雑草とは違い、明らかにそれは木だった。
 桃栗三年柿八年。そう覚えている沼田は、三年経てば、桃姫入り桃が実るのではないかと、期待し、桃の木を見守ることにした。
 桃の木は育ち、花を咲かせ、桃の実が成ったが、その頃沼田は、そんなことなどすっかりと忘れていた。数年前の話のためだろう。小さな桃の木があることは知っていたのだが、桃姫のことなど忘れていたのだ。
 ある月の明るい夏の夜。縁側の網戸越しに一人の女の子が立っていた。
 と言う想像もできないほど、忘れているようだ。
 
   了


 


2015年4月1日

小説 川崎サイト