小説 川崎サイト

 

前田のランチクラッカー

川崎ゆきお


 花見時、あいにくの雨。その名所も人は出ていない。少し山に入ったお寺のためだろうか。境内やその周辺に咲いているのだが、便が悪い。便秘ではない。駅から遠く、バスで行くことになる。車があれば別だが、吉田は持っていない。従って、普通に郊外の駅で降り、そこから市バスに乗る。ただ、市バスは市内を走る。寺は市外にある。その先は山また山。流石に市バスはそこまで行かないが、市の一番北の外れにある村までは入り込んでいる。そこから先は別のバス会社がいやいやながら走っている感じだ。廃止したい路線だろう。山間の村々を巡回するように走っている。市バスの終点から三つほど先のバス停が一番寺に近い。たった三つなので、歩いてでも行けそうだが市街地のバス停のように、間隔は短くない。
 雨の中、傘を差しながら吉田は山門近くまで行く。境内に入るのは無料だが、そこは避けて、人があまり来ないような山沿いに入り込み、そこで前田のランチクラッカーをカサカサ食べている。これが晴れていれば、この辺りは花見客でごった返すだろう。山門前に臨時の茶店できているが、客はない。それが見える距離に吉田がいるので、それほど奥まったところで一人花見をしているわけではない。
 もし周囲に花見客がおり、弁当でも広げていれば、吉田は変な人に見られるだろう。しかし、吉田も弁当は持ってきているのだ。前田のランチクラッカーだ。それを立ったまま食べている。傘で片手がふさがっているのだが、器用にトランプのようなクラッカーを袋から取り出し、口にくわえたまま少しずつ囓っている。脇や顎や腕を器用に使っている。腰のポケットに小さなペットボトルがあり、そこに爽健美茶が入っている。片手だけで器用にそのキャップを緩め、口に含む。そのクラッカーは塩気が効いているので、喉が渇くのだ。それは承知の上のことでもあるらしい。昔はもっと喉の渇くコンソメスープが入っていた。それを湯で溶かすのだが、ないので、なめていた。
 吉田は太い目の桜の木の下にいる。雨で幹が黒々と光っている。この桜の木の下でないといけないと言うことではなく、この場所が良いというわけでもなく、去年はもう少し奥にある桜だった。花見客が多かったので、桜の密度も低くなるが、奥の外れの崖のようなところで、クラッカーをカシャカシャと食べていた。これが吉田の一人花見の作法のようなもので、花見で食べるものは、クラッカーと決めていた。お茶は適当でよかったが、最近は爽健美茶がお気に入りだ。これは自販機でも手に入れやすい。
 長細い包みの前田のランチクラッカーを全部平らげると、吉田は動き出した。山門には入らず。寺へお参りもしないで、さっさとバス停のある山道を下っていった。
 この人は名さえ知られていないが、俳人だった。
 山桜派の木人と称している。自称なので、何とでも言える。

   了



 


2015年4月2日

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