小説 川崎サイト



追われる

川崎ゆきお



 長一郎老人は喫茶店を出たときから正蔵老人の尾行に気付いていた。
 よく喫茶店で顔を合わせるが、口を利いたことは一度もない。互いに避け合っているためか、視線が合うこともない。年格好が似ているため、意識し合っているのかもしれない。
 長一郎はたまにスーツで決めることもある。出掛ける前に朝の喫茶店でモーニングセットを食べているように見せかけるためだ。
 そのターゲットは正蔵なのだ。正蔵のように喫茶店だけで終わる一日ではなく、自分にはいろいろと用事があるのだと誇示するためだ。
 その日もスーツで来た。着ただけのことだ。正蔵に見せるだけでよかったのだ。ところが正蔵が後ろからついてくる。これには長一郎も足のもって行き先に困った。足がもつれそうになるのを立て直し、いつもの帰路とは逆の駅へ向かう方角へ靴を進めた。
 長一郎は正蔵の家を知らない。駅の方向に家があるのかもしれない。それなら尾行ではないことになるが、正蔵の足の運びが尾行臭い。長一郎が歩調を緩めると正蔵もそれに合わせるのだ。これは尾行以外のなにものでもないが、断定するわけにはいかない。だが、尾行される覚えは何一つない。
 そう考えると正蔵も駅に用事があるのかもしれない。まさかあんなジャージ姿で電車に乗るとは思えないからだ。
 しかし思いの外はあるもので、ホームまでついてきているのだ。駅前に用事があるのではなく、やはりこれは尾行というべき事態だ。
 正蔵の尾行がなければ駅へ向かう手前で家に帰るつもりだった。喫茶店を出たとき、正蔵がすぐ後ろにいたので、とっさの判断で駅へ向かったに過ぎない。この見せかけが尾を引き、正蔵を引き回す結果となった。
 長一郎は入場券しか買っていない。駅の中でまこうとしたのだが、追っ手が厳しく、振り切れないまま来た電車に乗った。
 そして終点に到着したため、降りることになる。立ち上がり、有らん限りの横目をむくと、視野の端に正蔵のかけらが見えた。途中下車していなかったのだ。
 入場券では自動改札をくぐれない。精算所へ寄る姿を正蔵に見せたくない。
 しばらく来ない間に構内に喫茶店が出来ていた。これ幸いなる避難所だと思い、ドアを開ける。
 そして、ここを本陣とばかり入り口を向いた椅子に座る。この構えでは正蔵は入ってこれないはずだ。同じ喫茶店に用事があるような偶然などありえないからだ。
 長一郎はまたもやきつい横目で正蔵を捕らえた。かなり離れているが、確かに正蔵だ。やはり入ってこれないので張り込んでいるのだ。
 横目を戻したとき、目の筋肉がどうかなったのか周辺がチカチカした。
 
   了
 
 



          2007年1月30日
 

 

 

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