華がある
川崎ゆきお
思いを込め、丹精込めて作ったものほど受けない。逆に軽い気持ちで適当に体重をかけずに造り散らしたようなものの方が受ける。これに関し、作田は不満なのだが、思いは伝わらないものであることを確信するしかない。それほど思いは伝わりにくいものなのだろう。なぜなら、気持ちを込めて、などは見えないからだ。それが形になって現れていても、作った人の心情までは分からない。そう言う形が偶然できたとか、そういうタイプばかり作っているとかだ。殆ど惰性で。
それほど人の思いというものは伝わりにくいものだろうか。そうではなく、伝わるのを嫌がっているのかもしれない。なぜなら下手に人の思いなど引き受けると負担なので。
そういえば作田は自分の気持ちで一杯一杯で、人のことなど殆ど考えていない。自分の悩みで忙しいのだ。ややこしそうで曖昧な他人の思いなどに構ってられないのだろう。
「作田さんは、その方面の趣味がないからですよ。私なんて、人の思いばかり吸収していますよ。これは趣味なんです。これは癖になりますから、作田さんもやってみられては如何ですか」
「そんな臭いことを」
「臭い」
「いや、人間臭いことは苦手でしてね」
「ほら、そういうところが作田さんの作品に出るのですよ」
と、そちらへ持っていく人がいる。作田はその手の話にはこりごりで、これほど胡散臭い話はないと思っている。現に、自分が心を込めて、気持ちを込めて作った仕事が一向に受けないで、伝わっていないことになる。良いお仕事をしたのに、良いお仕事をしたとは見られない。そういう実績がある。だから、現実を言っているのだろうか。
「そういう面もありますがね、作田さん。作品には第三の要素があるのですよ」
「ほう、何ですか、それは聞きたいものだ」
「華です」
「花がいいのですな、花が。花を素材に」
「その花じゃなく、華やかな花です。華やかさです」
「ああ、あの人には華があるって、あれですな」
「そうです。その華が曲者でしてねえ。これは見かけなんです。内面から出て来たものじゃなく、そういう外形なんです。見てくれなんですよね。これに人は弱い。引っかかります」
「じゃ、華を何とかします」
「ところがです、作田さん。あなたには最初から華がない。だから、何をしても咲かない。思いを込めようが込めまいが。ま、そういう言うことです」
「そそ、それは冷たい」
「これはですねえ。はなからある華で、生まれ持ったものなのです。本人が気付かくても、他人様には分かります。この人は華があるとね」
「じゃ、わしは華がないので、何をやっても無駄か」
つまり、これは才能論になる。華のない人は努力をしても無駄だと。
「じゃ、わしはどうすればいい」
「作田さんは華はないが、いや、ありますよ。ありますが、小さいのです。その代わり葉がでかい」
「葉が大きいと」
「そうです。もう柏餅の葉や、八つ手の葉のように大きい」
「ほう」
「だから、作田さんには花の華はないが、葉がある」
「おお」
「作田さんには葉がある。これですよ」
作田は、それを救いとすることにしたが、いったい葉にどんな御利益があるのだろうか。
了
2015年4月10日