小説 川崎サイト

 

神秘の淵

川崎ゆきお


 下田が子供の頃見えていた神秘が、大人になると消えている。知ってしまったからだ。分かってしまうと何でもないことで、神秘事は去ってしまう。ただ、そのときの印象が残っており、これがなかなか消えない。
 例えば祖父が御所大事にしていた神棚がある。仏壇より立派で、奥まった暗い座敷にあった。これは座敷の床の間を改良したものだと、あとで分かった。奥の壁に仁王さんのように髪の毛を逆立てた神様が立っている絵が飾ってある。掛け軸ではなく、縦長のポスターのようなもので、今考えると規格外のサイズだ。高さは紙のサイズで言えば全紙では足りない。大きな和紙か襖紙だったのかもしれない。その絵は印刷されたものだと、あとで分かった。こういう規格外の紙に印刷する設備や、印刷方法があったのだろう。今ではなく、昔のことだから巨大な版画かしれない。
 その縦長の紙だが、繋ぎ合わされたものかどうかまでは確認していない。絵の手前には紐や布がからまり、金具などの神様グッズのようなものが複雑に組み合わされている。非常に濃い場所だった。狭い床の間半畳程度のところにびっしりと飾られていた。一つ一つは覚えていないのは暗かったためだろう。ただ、鏡のようによく見えない鈍い鏡もあった。
 ここは本家の聖域で、先祖代々の仏壇よりも大事にされていた。あとで聞いた話では、金比羅さんだったようだ。だから、その神様は金比羅なのだが、下田は子供だったので、そんな意識はない。ただ、薄暗いところに立っているメカメカした不気味な人程度だった。小さな大人の背丈ほどあったので、おそらく等身大だ。ただ、神様の身長がいくらなのかは知らないが。
 下田はあとで調べたのだが、仏教に取り込まれたインドはガンジス川のワニの神様らしい。だから、神か仏かよく分からない。ただ、その絵の神様は人に近い。鎧を着た古武士のような。
 当然お爺さんは神様の名前など言わない。バチが当たるらしい。だから、神様、神様と呼んでいた。
 これは信仰なのだが、要はその絵に描いた神様を売る業者が仕掛けたもので、だから、我が家の先祖、おそらく江戸時代だと思うが、高い絵を掴まされたのだろう。裕福な農家だったとは聞いていないが、その程度の無駄遣いをする余裕はあったようだ。下田家代々が住んでいた村で、その金比羅さんを信仰している家は他には一戸もなかったようだ。それはお爺さんから聞いた話で、珍しい神様を導入したと言うことだ。ただ、それで金回りが良くなったわけではなさそうだが。
 そういった構造が分かると、あの頃見た神様が何処かへ飛んでしまうのだが、印象だけは残っている。畏怖の念とか、床の間のさらなる奥に神秘が隠されており、神仙と繋がっているのだと。
 当然下田は今はそんな思いはないが、あの消えた神秘が懐かしく、それを何とか再現できないものかと考えていた。
 現実を突き破った向こう側に何かがある。それは構造上存在しないのだが、あの頃見た世界は、今も残っている。物は既に無くなったが、霞のようにまだそれは浮いているのだ。
 下田は宗教家でもなく、今はただのお父さんだ。特に何かを成した人でもなく、普通の勤め人。しかし、ずっとそれを探し求めていたような気がする。
 見付かれば大変なことになるのだが、似たような旧家の息子が知り合いにいた。そちらもインドの神様で、聖天さんだ。象の神様なのだ。これも絵だけの神様で、極彩色だっらしい。ただ、子供は見てはいけないとされ、観音開きの扉には常に鍵がかかっていたらしい。その友人は下田以上に、神秘を感じ続けたらしい。
 不思議なことなど起こらないのだが、そういった神秘のとば口から覗いた世界は、ずっと残るようだ。
 
   了





2015年4月13日

小説 川崎サイト