小説 川崎サイト

 

猫婆喫茶

川崎ゆきお


 吉岡は自宅で音響関係の仕事をしている。スタジオはない。パソコンを使って音を作っているのだ。
 効果音や擬音が多い。小川のせせらぎ、けたたましい靴音、流れる雲の音。いずれも録音などへは行かない。パソコンの中で作ってしまう。
 依頼もメールか電話で、渡す時はファイルだ。
 マンション住まいだが、狭いため牢屋のような閉塞感がある。
 そんなある日の午後、行きつけの喫茶店へと自転車で向かった。店の前に近づくと駐車場は満車で、店前の歩道にも多くの自転車が止まっている。「満席かも」と思いながら店内を覗く。空いている席が見つからないことを確認し、そのままスーと前を通過した。
 吉岡は自転車を進める。その先にも喫茶店がある。いつもの店が定休日だったり、満席の時の予備として使っている。
 実は予備の店のほうが古く。この通りに最初にできた喫茶店で、小さなマンションの一階にある。隣は寿司屋だ。
 自転車で喫茶店に近づくと、老婆が鉢植えの手入れをしていた。
 この店はいつが定休日なのかが分からない。吉岡が来た日は必ず開いている。
 老婆は吉岡の顔を覚えているのか軽く会釈し、さっと店内に戻った。それを追いかけるように吉岡も続く。開店当時からあるのか古ぼけた木のドアだ。閉めるとカチリと音がする。この音は取っ手に手をかけないと響いてこない音だ。
 南向きに大きな窓がある。吉岡の定席だ。必ず空いている。夏は日差しが入り過ぎ、クーラーが効かない。粗いレースのカーテンでは直射日光を遮断できない。
 今日のような冬は、暖房がなくても日差しがあると日向ぼっこ気分でくつろげる。しかし長く座っていると汗が出る。
 あまりいい席ではないのだが吉岡は気に入っている。カーテン越しに通りが見えるからだ。
 客はいない。すぐ近くの店が満席なのに、ここにはいない。
 注文を取りに来た老婆にアイスコーヒーを頼む。
「はい」
 と、老婆が言ったのだが、そういう声ではない。年老いた猫が唸っているような妙な音なのだ。
 この猫婆喫茶と共鳴できる客は少ないだろうと思いながら吉岡は目を閉じた。
 
   了





2007年01月31日

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