小説 川崎サイト

 

忘備録

川崎ゆきお


「今日見たこと、今日感じたことは早い目に書き留めておくべきですなあ。一日経つと変わります。これは流れがあるからでして、その大きな流れの最先端箇所が今なのです。だから、昨日見たものは、今日はもう関心が無かったりします。そのため、昨日をことを書こうとしても別のものになります」
「一日一生と言うことですか」
「いやいや、一日と言うより、今なんですな。そして胃乳じゃなく過去の押し出しがある。これは一日単位じゃない。一生単位だ」
「はい」
「昨日の印象は、今日はもう違う。一晩寝かせるとそういうことになります。だから昨日のことを語るのは気が乗らない。だから、書き留めない。ところが、さっき怒ったことはまだ生乾きで判断が付かないことがある。ただの感情の流れで、そう見えたのか、そう感じたのか、三日も経過すれば冷静に考えられる。実際には書き留めるほどのものじゃなかったとね」
「じゃ、今すぐにメモをした方がいいのですか」
「できればそうありたいが、書く場所がないと駄目でしょ。例えば自転車に乗っているとき、感じたことを記録するのは難しい。ボイスレコーダーがあれば別ですが、これは独り言を行っている怪しい人になります。まあ、たまにいますから、問題はないし、小さい声で録音すればいい。ただ、これは書き留めるべきだと覆ったことの余韻をしばし味わった方がいい。一日経てば覚めるが、その日のうちなら、まだ鮮度がある。これが錯覚だとしても、それがまだ覚めやらぬ」
「それはどういうことなんでしょう」
「三日前の出来事を今書く場合、今の感覚で書く。もう三日前の感覚じゃない。ここで作ってしまうのですよ」
「情報的には似たようなものでしょ」
「場合によっては、三日前のことは、もう書く気がしない。これは今の判断だという証しです。価値なしと見るわけですな」
「そんなに目まぐるしく感覚は変わるものでしょうか」
「腹が痛いとき、感覚も変わるでしょ。同じものを見ても、気分のいいときと、そうでないときでも変わる。また、その気分を起こさせることが、その人のこれまでの蓄積などが押し出しているわけです。これは流れです。細かく流れが変わります。あとで見ると、大して曲がりくねってはいないが、日々、結構蛇行しているものです。色々な条件が日々違いますからね」
「要するには役目もした方がいいということですね。冷めないうちに」
「まあ、そうです」
「そのメモはどうなります」
「何が」
「だから、書き残したメモですよ」
「あるよ」
「だから、その活用方法」
「あ、そう」
「それを使って、役立つものを引き出したり」
「あ、そう」
「そうじゃなく、活用方法を教えて下さい。そこがキモでしょ」
「ない」
「じゃ」
「メモ魔とはそんなもので、読み返さない」
「え」
「メモはダミーなんだよね」
「はあ」
「本当の大事なことは、深く静かに流れています。メモをしなくても覚えている。だから、メモをするのはどうでもいいことをメモしているのですよ」
「じゃ、メモなんて不要でしょ」
「書き込まなかったこと、これが残ります」
「え」
「書くと忘れるからですなあ。また、忘れてもいいように書くからです」
「大層な話のわりにはがっくりです」
「と言うことをメモしなさい。今日はがっくりだったと」
「はい」
「しかし、メモとは裏腹に、本当にガッカリだったのかという疑問が残ります。残らなければ、それでいいんだ。大したことじゃなかったんだからね」
「じゃ、今日はこれで」
「今のこと、メモしますか」
「しません」
「私はしっかりとメモします」
 
   了




2015年4月20日

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