小説 川崎サイト

 

木の神様

川崎ゆきお


 ショッピング施設内の端、そこは敷地への出入り口でもあるのだが、裏側だ。竹の垣根で仕切られている。竹垣の中に竹が植えられているが、竹垣の竹は樹脂製だ。施設の庭と言うには、何かよく分からない繁みとなっている。椿が密生しており、今は地面に赤い花や白い花がぽとぽとと落ち、なるにまかせている。ここを清掃員が毎日掃除に回っているのだが、落ちた花びらはそのままだ。苔むした緑の絨毯の上の椿の花、これ込みの観賞用と判断されたのだろう。
 観賞用の庭園なのだが、その日はパイプ椅子が並び、十人以上の人が座っている。その背の向こうに神主と、一際鮮やかな巫女衣装が見える。いずれも後ろ姿だ。神主の前には古木があり、人の背程の高さしかない。樹木としての寿命は終わっているが、まだ立っている。古木なので、中は洞で、上手く正面側が欠けており、そこに稲荷大明神と書かれた額がある。
 工場内などによくある祠に近いが、このお稲荷さん、社も祠もない。赤い鳥居が申し訳程度、椿庭園の入り口にある。
 パイプ椅子に座っているのは、ショッピング施設に店を持つオーナー達だろうか。また、施設側の社員もいる。いずれも服装は地味だ。
 桜は既に散ったが、椿はまだ咲いているのもある。この時期、この行事が行われるようだ。
 神社の由来はなく、お稲荷さんは、まあ、一種の飾りで、実際にはこの古木が御神体なのだ。昔は村の聖域で、一番奥深いところにあった。ショッピング施設ができる前は広大な敷地を誇る紡績工場だった。ここはある村の田圃だった場所だが、その村も、今はない。
 そして村時代の神社などは消えたが、最後まで残されたのが、この古木だ。撤去しようとすると、病人が出た。怪我人が出た。工事車両のエンジンが急に止まったりした。
 そういう偶然が重なったため、そのまま放置した。外れにあるため、邪魔にならなかったのだろう。引っこ抜いても文句を言うような村人も、ここには住んでいない。氏子もいない。それに、何を祭った神様なのかも分からないのだ。これは木の神様で、神様が降りてこられる柱らしいが、神ではなく雷が落ちて、朽ちたらしいが、まだ歯の根が残るように、皮だけが残っている。朽ちてからかなり長い。背も低いため、もう置物のようなものだ。これ以上腐らないように、軽く屋根で覆っている。左右も板塀で少し囲んである。死んだ木なのだが、世界最古の木造建築物も千年を超えても、まだ生きているように、この木も、植物としての営みはないが、木は死んでもなお生き続けられるものだ。湿気の強い日は膨張する。
 さて、鮮やかな巫女衣装の女性は、当然バイトで、この神主の神社に常駐しているわけではない。いつも、巫女を連れて神事に出掛ける。これが華やいでいるので、受けたのか、何人かの臨時巫女がいるようだ。これが人気があるためか、先ずは神主そのものが商売繁盛だ。
 要するに、このお稲荷さんの神事は、地神様への挨拶のようなものだ。ただ、その地神様には名がない。山の神でもいいし、田の神でもいいのだが、一番簡単な通りの良いところで、稲荷にした。えびすさんでもよかったのだ。地元の人が一人もいないのだから、何でもかまわない。木の神様では得体が知れないだけのことだ。
 地に根を張る。これがこのショッピング施設の願いでもあったためか、ここを大事にした。そのうちテナントのオーナー達もお参りに来るようになった。ただ、この古木、立っているだけでも一杯一杯だろう。根が残っているだけましだが。
 そして、椿の花が落ちる頃、木の神様の前でパイプ椅子を並べ、神事が行われる。神主は地鎮祭のときのような祝詞を上げ、福娘のような巫女がけなげにそのアシストをする。
 そして、普段は普通のお稲荷さんの木の洞の祠として、買い物客がたまにお参りに来る。
 
   了




2015年4月22日

小説 川崎サイト