小説 川崎サイト



象の墓場

川崎ゆきお



「経験って何も役立たんなあ」
 老いたデザイナー、山藤が語る。
「いやいや山藤さん。匠の時代ですよ。物作りの時代なんだから」
「それはデザイナーには当てはまらんよ」
 象の墓場があるようにデザイナーの墓場がある。ここは印刷工場の天井部屋。年老いたデザイナーが囲われている。象の檻という人もいる。
「宮田さんは専門学校で食べているらしいが、本当かい」
「十年前の話ですよ。講師で食べていたのは。今はパソコン触れないと駄目らしいですよ」
「ここもそうだね。あたしたちの仕事も減ったな」
 年寄り達は弁当を食べ始めた。デザイナーとして独立出来ないまま定年まで勤める人々で、決してお年寄りではない。だが、デザイナーの世界では老人なのだ。
 彼らが生きた時代はデザインではなく図案だった。今でもタイトル文字を手で書くことが出来る。
「三十までには独立したかったなあ」
「山藤さんなら出来たんじゃないですか」
「そんな瞬間もあったさ」
 山藤は自分で焼いたダシ巻き卵を口にする。
「でもね、会社が引き留めたんだよ」
「そうだったんですか」
「昔の話さ。まあ、あのおり独立しても、今と変わらんかな」
「わしも、事務所つぶしてここに来たんだよね」
 横から武田が口を挟む。前歯が二本ないため、よくこぼすのか常に手で受けている。
 時代遅れの彼らが生き延びているのは、まだ手書きを必要とする仕事があるからだ。この印刷所のデザイン室は子会社化し、別の場所にある。メインの仕事はそこで行っている。
「不思議だなあ」
「何がです、山藤さん」
「わしら、どうしてまだ使ってもらえるんだろう」
「ここは伝統のあるデザイン室でしょ。有名人かなり出てますよ。文化遺産ですよ。ここは」
「あたしたちは有名デザイナーにはなれんかったなあ。今後もそんな人は出んだろうが」
「山藤さん、来年定年ですねえ」
「結局この檻のお世話になった。今思えば、それでよかったのかもしれん」
 山藤は最後まで残していた沢庵を齧った。
 
   了
 
 

 


          2007年2月1日
 

 

 

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