小説 川崎サイト

 

心情について

川崎ゆきお


 心情というのはころころ変わる。勝手に思い浮かべたり感じたりするからだ。その先に、それをまとめ上げる論理的なものが来るのだが、その手前は結構野蛮で野性的だ。これは本人にしか分からないことだが、他の人もきっとそうだろう。これもまたそういう心情で推し量るためだ。ところが、他人はこう思うべきだ、思うはずだという心情で見ることもある。相手の心情より、こちら側の心情の方が問題だったりする。
 自分で感じるのは心情で、相手が感じるのは心証だ。だから心証の悪い人がいる。その人が悪いのではなく、印象が悪いのだ。当然見かけではなく、本当に悪い人もいる。ただ、それはその悪さの被害に遭っていなければ、そんな心証はない。また、心証など問題なく接せられる。
 他人の心証はそれほど変わらないが、本人の心情は結構目まぐるしく変わる。大事なことを心に思い描いているときもあれば、単に歯が痛いだけの心情もある。ただ、これは体なので、心ではないので、あまり歯の痛さを心情とは言わない。もう少しハート的なことだが、それは心臓にあるのか、頭にあるのかは分からない。もしかすると胃腸にあるかもしれないし、呼吸器系にあるかもしれない。鼻息が荒くなるとかがそれだ。何かを思ったから鼻息が荒くなったのか、鼻息が先なのかは分からない。ただ、意味もなく鼻息が荒くならないだろう。だから、これは全身で、全神経、血管でもリンパ腺でもいい。全身で、瞬間に感じ取ったのだろうか。当然、そこには頭も含まれている。心的なことを体で感じるというと、少し胡散臭くなる。しかし体の中に脳も入っている。
 ミミズも最初の頃は腸だけだったかもしれない。腸の入り口が口で出口が肛門。管だ。腸が吸収しにくいものを入れると、それを潰すため瘤ができる。胃だ。さらに進めば脳にでもなるのだろう。だから、腸で考えるというのはあり得ることだ。そして腸の中には多くの他の生物がいる。表通りのように人は行き交わないが、虫が行き交っている。流石に衛生状態がよくなったので、サナダムシの長いのを沸かすような人はいないが、いれば腸内での恐竜だ。
 胸は感傷的だが、腹はどっかりとしている。腹のできた人、腹を括るなどがそれだ。頭だけで考える人は、あまり信用されない。計算高いとか頭でっかちとか言われる。何処か姑息で、ずるがしこさがある。頭の良い人よりも腹のできた人を信じたりする。頭の良い人は何を考えているのか不安なためだろ。いつ寝首をかかれるか分からない。それより腹の安定した人がよい。
 さて、変わりやすい心情だが、これは、その場その場で思っていることで、実行に移すわけではない。様々な雑念も入る。心情は元来カオス状態で、混沌としていて普通なのだ。何も思わない、感じないでは逆に危ない。様々に沸き上がる心情から、抜いたり、外したり、繋げたりしながら、整理するのだろう。ただ。そういうことは教えられなくても自然にやっている。
 腸が他の生物も入り込んでいる大通りだとすれば、心情も他者が行き交う大通りかもしれない。
 
   了

 




2015年4月27日

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