小説 川崎サイト

 

近在古寺巡礼

川崎ゆきお


「年を取ると古寺巡礼ですなあ」
「古寺巡礼。戦前に書かれた本ですねえ」
「だから古書巡礼ですがね」
「古いですからね」
「しかし、古寺ほどには古くない。桁が違います。古寺は数百年、千年以上ですから」
「若い頃読んだことがありますよ。古本屋で見付けて。タイトルだけは有名でしたから」
「あなた、宗教関係、それとも美術系。建築系」
「いやいや、ただの読書ですよ。古都のお寺案内、仏像案内でしたから」
「それとは関係なく、私は古都巡礼を始めましたよ」
「近所の」
「そうです。神社より寺の方がいいですなあ。神さんは形がないけど、仏さんには形がある。まあ、近所の寺の仏像なんて、大したことがないので見ても自慢にはなりませんが。寺といっても家ですよ。個人宅ですよ。そこの仏間を見るようなものですから、自宅を公開するようなものです。展示会などあれば、出すんでしょうが、そんな機会もない。それに美術館や博物館で見る仏像はただの古美術品になる。やはり寺内になければね」
「古寺巡礼の本では博物館の仏像を見に行く話もありましたが」
「ああ、途中で飽きて、全部読んでないので、へえ、そうでしたか。でも場所が古都でしょ。博物館も」
「そうです」
「神社は見るべき小物が少ないですが、お寺には色々とゴチャゴチャ並んでいますよ。特に狭い寺の境内ほど。狭すぎて、墓場と一緒だったりしますがね。そこに無念さんなんかが置かれてある」
「無念仏ですか」
「さあ、それはよく分かりませんが、無念そうなお顔をした石像です。これは仏さんでも羅漢さんでもない。仁王さんが踏んでいる鬼かもしれないなあ。そして、何か分からないまま、一箇所に集められていますよ」
「密度が濃そうですねえ」
「昔の人が形にしたんでしょう。有名寺院じゃない村寺の方が、こういうのが結構あったりして、楽しめますよ」
「そういうお寺を回っておられるのですね」
「寺も仏像も古けりゃ古いほどいい。石塔でもいいんだ。景気のいい寺なら、新しいのを立ててます。今風な健康を祈る薬師如来とか、景気のいい弁天さんとかね。水掛不動さんもいいけど、あれは水回りがないと、だめでしょ。しかし、何処かで放置したような水掛用の不動明王が、からからの場所にあったりします。苔ももう乾燥してますよ。それも剥がれ、皮膚が荒れています。これは獅子のような顔になってますなあ」
「色々と見所があるのですね」
「特に墓が境内にある寺がいいです。墓場には観音さんとか、地蔵さんがいるでしょ。これも野ざらしだ。だから味がある。金仏や木仏もいいですが、あれは雨に弱いからお堂に入っているのでしょ。石仏はその点タフだけど、雨風で風化するんでしょうなあ。のっぺらぼうになりつつある地蔵さん。これは地蔵盆なんかの地蔵さんなら子供が絵の具で顔を作るんでしょうがね。流石に墓場でそんな白塗りの仏像見ると、怖いですが」
「はい」
「そして、水子供養はいけない。あれを前面に出している寺は遠慮します。下に人形や玩具、胴体や首には千羽鶴。これは引きますよ」
「楽しそうですねえ」
「この近在での古寺巡礼案内を兼ねたホームページを起ち上げようと思っています。それでもう忙しい忙しい」
 要するに暇なのだ。しかしそういう用を見付けられたのだから、極楽だろう。
 
   了

 




2015年4月28日

小説 川崎サイト