小説 川崎サイト

 

暇人

川崎ゆきお


 季候がよくなってくると、あれもやろう、これもやろうと考えていたのだが、いざ春爛漫の日々が続くと、眠くて仕方がない。朝は二度寝三寝をし、昼寝をし、さらに夕食後、腹が膨らみすぎて、動けなくなり、また仮眠する。結局、寝ているのが一番よかったりするので、非常に優先度の高い行為となる。予定していた用事は今まで放置していたのだから、さらに放置しても別に困らない。いつか何処かでツケが回って来るのだが、そのときはそのときだ。眠気と雨には勝てない。
 下田はそれで、食べては寝て、食べては寝ての春爛漫をやっている。ただあまり良いものは食べていない。一人で宴会の日々を送っていたわけではない。
 食べることと寝ること、これが基本だ。この箇所が機嫌良く繰り返されていれば、実際にはそれでもういいのだ。ただ、人生には目的があり、色々とやることがある。そしてこれまで果たしてきたことを振り返るが、別にやらなくてもよかったようなことばかりだ。逆に友人知人先輩や後輩に迷惑をかけた。
 惰眠をむさぼっている下田だが、食べて寝るだけでは間が持たない。昼寝から起きると、すぐには眠れないし、食べたあとはおやつぐらいは口に入るが、それも食べ過ぎると、もう食べたくない。
 やはり目的がないと、空いた時間を持て余してしまう。何でもいいので、寝る時間と食べる時間の間を持たせるものが必要なのだ。だから何でもいい。ただの繋ぎなのだから。
 そういう根拠で動いている下田は、知人からは、それを読まれていて、また退屈凌ぎに何かやり出したと分かってしまう。そのため、最近は相手にされない。それは他人の暇つぶしに付き合うほどお人好しの人はもう近場ではいないからだ。それで、下田は、自分のことを知らない人達の中に、最近行きだしている。ネットで知り合った人達とのオフ会のようなものだ。
 最初の集まりのときは、互いに得体が知れないが、自己紹介などを聞かなくても、下田と同類が集まってきているのがすぐに分かる。お互いに分かる。つまり自分のテリトリーではもう誰も相手をしてくれないので、新地を求めて来た人達なのだ。
 それなら、いっそのこと暇つぶしの会とした方が潔い。しかし目的が暇つぶしではやはりまずいのだろう。何等かの名分がいる。できれば社会的な。
 やることがないので、集まってきた連中だが、いざ全員で何かをやろと相談すると、癖の強い人ばかりで、まとまらない。互いに趣味や考え方が違いすぎているからだ。ただ、暇を潰したいと言うことだけでは一枚岩だ。
 暇つぶしではなく、できれば有為なことがしたい。それが望みだろう。
 そして、そこに一人、必ず宣教師のような人がおり、これがボランティアへ誘う。宗教家ではない。社会教だ。
 その勧誘員が混ざり込んでいるのだ。そのため、うかうか暇潰しをやっている場合ではなくなる。カモにされているのだから。
 そのため、暇を持て余しているときの方が、平和だと下田はつくづく考えた。
 そして、季候がよくなればやると決めていたことを、いやいややり始めた。実はこれを避けたかっただけのことかもしれない。
 
   了

 




2015年4月30日

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