神社の妖怪
川崎ゆきお
「不思議な妖怪を見た」
妖怪や幽霊など一度も見たことがない妖怪博士が語り出す。聞いている担当の編集者は意外だった。それよりも、不思議ではない妖怪などいるのだろうかと。
「どんな妖怪ですか」
「神社の神だ」
「神社の紙?」
「ペーパーじゃない」
「しかし、神社には神がいるでしょ。だから神社でしょ。神が祭られているところが神社でしょ。だったら、神がいても不思議じゃないですよ」
冬眠していた妖怪博士は春先になってもまだ無活動だったが、鯉のぼりがあがる頃、ようやく起き出したのか、ひなびた神社を訪れたようだ。これが初詣らしい。かなり遅いのだが。
「かんなびた神社でな。まあ、いかにも神がいそうな」
「だから、いることになっているのですよ。神社は」
「神社のタイプによって違うらしい。村の神社なら、これは山の神様かもしれんので、常住タイプじゃない。祭るときにだけお呼びするとか、用があるときだけ、来てもらうとかな。田に水が入る頃来てもらい、稲刈りの頃にはお山に帰ってもらう。山が近くにない場合、どうするかじゃ。漁村では海に帰ってもらう」
「そんな能書きはいいですから、神社で神を見られたのですか」
「須佐之男を祭っておる神社でな。だから、須佐之男を見たことになるが、そうではない。これを祭っておる神社は多い。だから、お留守のことも多いだろうが、同じ神が一柱とは限らん」
「それよりも、早く聞かせてください。神を見たのですか、妖怪を見たのですか」
新緑の頃、鎮守の森の古木はまぶしいほど鮮やか。そのすがすがしさの中に光、ただの斜光、木漏れ日でも幻想的に見える。木々に囲まれ、ここだけ空気がいいのだろう。多くの酸素を出しているようだ。神が喜ぶような清らかさと静寂。
妖怪博士は本殿ではなく、脇にある小殿を見ていた。ここは水神様を祭ってあるらしく、石柵がある。池があるためだ。池の端に社があるが、本殿並に立派な屋根組をしており、突き出た屋根柱や茅葺きは新興住宅地では見かけない古式のそれだ。古代の高床式の倉がモデルではないかとも言われている。そういう形の家を建てる人はいないだろう。今となっては神様専用の家となってしまったため、恐れ多くて、建てられないし、住めない。
「どんな妖怪ですか、博士」
「ことごとく、神がいることを前提として建てられた聖なる空間にいると、錯覚を起こしやすい。それだけのことじゃ」
「ああ、やっぱりねえ」
「なにが、やっぱりじゃ」
「だから、錯覚だったのでしょ」
「本殿の須佐之男や、水神を見たわけじゃない。それなら妖怪だとは言わん。神を見たと言う」
「何を見たのですか、いや、感じたのですか」
「私は霊感がないし、カンは至って鈍い。目の前に幽霊がいても、きっと気付かんだろう」
「それで……」
「水神様の社の屋根の向こう側の木々が深い。奥が深い森のためだろうなあ。濃い濃い。そこに複雑な光線が交差し、青葉を光らせ、滲ませておる。また、モヤのよなもの、これは生えかけなのか、小さな花が集まっているだけかは分からんが、非常に幻想的だった。これは出るぞ、出るぞと思っていると、やはり出た」
「妖怪ですか。神ですか」
「妖怪の神か、神の妖怪か、よう分からん」
「形は」
「湯気のようなもので、浮いておった」
「だったら湯気でしょ。蒸気でしょ」
「まあ、そう、早い目に言うな。花粉かもしれん」
「はいはい」
「神だけをターゲットにした境内。すべて神を意識した造り、そこにあるものすべてそうじゃ。これが、いけない」
「はい」
「神がいるものとして作られた聖域だ。しかし、実際に、そこで神を見た人間などおらん。なぜなら、神は人の目では見えぬからじゃ。だから、いるとも、いないとも言えん」
「それはどういうことですか」
「聞く耳を持ったか」
「一応」
「これは、出んわけにはいかんじゃろ」
「神がですか。しかし出ても見えないのでしょ」
「だから、神社の妖怪がおるんじゃ」
「神社の妖怪?」
「少しその霊験を見せるためにな。この妖怪は神の眷属のようなものじゃ。神は見えんが、妖怪は見える」
「妖怪博士は、それを見たのですね」
「湯気じゃないか」
「そうでしたねえ」
「そこまでだろうなあ。この眷属の妖怪も、湯気程度の技しかない。まあ、神社なので、あまり阿呆な形の珍獣では騒がしくていかん」
「つまりその妖怪は」
「なりすまし妖怪じゃ。神のな」
「まあ、そうなんでしょうねえ。僕はそれ以上何とも……」
「しかし、神も妖怪も紙一重。元は同じかもしれん。それをあらためて私は感じた。神の出来損ないや変態が妖怪なのではなく、妖怪の中から神に昇格したのが出ただけかもしれん。元は妖怪なんじゃ」
「博士」
「何じゃ」
「やっと冬眠から起きたのはよろしいのですが、まだ寝ぼけているようなので」
「そうか」
「はい」
了
2015年5月13日