小説 川崎サイト

 

日々の風景

川崎ゆきお


「暑くなってきましたなあ」
「この前まで冬だったのにね」
「ここまで来るだけで一杯一杯ですよ。もう暑くてバテてしまいました」
「去年もそんなことを言ってましたねえ」
「そうでしたか。忘れました。去年は去年、今年は今年。同じ初夏でも違う初夏ですよ」
「はいはい」
「ここへは休憩で入るのですがね、暑い中歩いたので本当に休憩になってしまう。、ここではゆったりと過ごしたいのに、この季節からはもう休憩だけになります」
「はあっ?」
「分かりにくいですか」
「はい」
「歩いてきた分、疲れたので、それを取り戻すための休憩になってしまうのですよ。歩いて来なければ、休憩も必要じゃない。ただ、夏場だけですがね。だからここに来ると、体力回復だけに専念することになる」
「そのわりにはよく喋っておられますが」
「口は別です」
「そうなんですが」
「だから夏場は、ここには来ないようにしたいのですが、それでは日課がこなせない。それだけじゃなく、その沿道には色々なものがありましてねえ。小学校の前もある。たまに教室から声が聞こえてきたり、カスタネットを鳴らしている音がしたりとかね。私の出身校でもあるのです。さらにその先に神社がありましてねえ。ここは地元の人が多いので、誰かがお参りに来ている。通りから社が見えます。鐘か鈴を鳴らす紐があるでしょ、あれを振り回している。まあ、いない日もありますよ。また、今、正に鳥居を潜ろうとしている場合も。日によって違うんです。私も同じ時間に歩いていますが、多少は立ち止まったりしますから、きっちり同じ時間とは限らない。毎日来ている人もいるんでしょうが、見ていないこともありますからね。その先は日陰の続く道に出ます。ここは自転車が多いですなあ。もう日傘を自転車に突き立てて、走っている人もいますよ。野点ですなあ。あの傘は。さらに進むと、工場脇に出ますなあ。そこは大きなトラックがたまに通ります。裏道なので、滅多に入り込まないのですがね。工場への入り口が分からないのか、何か事情があって、入り込むトラックがいますなあ」
「じゃ、ここへ来るとき、そういうのを観察されているわけですね」
「はい、狭い範囲ですよ。誰が選挙で勝とうが、経済がどうだなんて、その沿道からは分かりませんよ。選挙ポスターの大きな展示板があります。ずらりと顔が並んでいる。選挙後、落ちた人に×マークを付けりゃ分かりやすいですがねえ。株が上がっても下がっても、この沿道風景にどう反映するかは、今のところ確認できていません。あまり変わりがないのですよ。これはきっと狭い範囲しか見ていないためでしょうがね。世間の極一部です。これをねえ、ずっと見ていないと、やはり世間から離れてしまう。家でテレビを見ていても、あれはテレビの中の話でしょ。私なんて、株価なんて聞いても何ともない。それが間接的に影響するにしても、何処でその影響が出るかでしょうなあ。しかし、十年前と比べれば、その沿道にも変化があるのでしょうなあ。服装も違うだろうしね。もう売っていない服なんてありますからねえ。形は似ているんだが消えたものもありますよ」
「疲れているのに、よく喋れますねえ」
「口は別です」
「タオルのおしぼりが、いつの間にか紙おしぼりになり、今は言わないと出してもらえない。それもなくなり、今は紙ナプキンです。あれは乾燥しているし吸水性がない。あれで首筋や耳の後ろ側を拭くんですがね」
「ハンカチがあるでしょ」
「ああ、忘れました。やはり濡れタオルで拭きたいところですよ。この喫茶店も変わりましたよ。十年前とはね」
「そういう細々とした変化を見ておられるのですね」
「勝手に目に入りますよ」
「はいはい」
「日々の変化、それを毎日見続けることが、今の私の楽しみなのですよ。だから、暑い時期でもこうして、ここまでやってきます」
「はい、ご苦労さん」
 
   了

 

 

 


2015年5月23日

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