小説 川崎サイト

 

褒められ病

川崎ゆきお


 評判がいいとか、大いに受けるとか、気に入ってもらえるとかになると、同じようなことをまたやることが多い。褒められると快感を覚え、褒められ病に罹る。これはいいことなのか、悪いことなのかは分からない。ただ、自分が好きなものではなく、今一でも褒められると、それだけでも嬉しいので、それを繰り返す。
 下田はブログで写真を発表している。よくある話だが、写した写真を寝かしておくのはもったいないので、いい写真に限って、アップしている。友人知人が見に来てくれるので、それが張り合いになっている。だから、褒められると、そういう写真を探したり、また写しに行ったりする。
 また、友人知人だけではなく、それらの人の友達なども、たまに来る。中にはまったく知らない人も見に来てくれているようで、コメントなどを残してくれる。
 下田は気をよくして、評判のよかった写真と似たようなものばかりを上げていたのだが、飽きられたのか、徐々に反応が鈍くなってきた。最近では誰も見ていないのではないかと思えるほどアクセス数も減っている。一日数人だ。これは下田自身は勘定に入っていないはずなので、第三者が何人かはいるわけで、全くの孤島ではない。しかし張り合いをなくしたのは確かだ。
 下田が気に入っている写真が意外と受けなかったりする。それを思い出した。こういう写真を写したい、見て貰いたいと思う写真程受けが悪い。だから、そういう写真はアップせず、また撮していなかった。
 ところが最近は誰からも褒められなくなったので、もう気にすることがなくなった。どんな写真をアップしても褒められないのだから、褒められる快感とは別のものでもよくなった。
 さらに分析をすると、誰もが褒める写真は滅多になく、友人知人にもグループがあり、好みのタイプが違うことが分かってきた。人に好みがあるのは当然だ。それらの好みに合わせるような写真ばかり下田はアップしていたことになるのだが、自分の好みではないものも、多く含まれていたし、自分が好むものでも、ネタが切れてしまい、そうそういいのが写せるわけではないため、これも行き詰まった。
 評判を気にし、人の意見や好みに合わせてきたのだが、これも続かないもので、すぐに飽きられたのだろう。
 そういうことをネット上で調べると、やはり褒められ病というのがあることが分かった。その症状に全て下田は当てはまっていた。
 それから下田の独走状態が始まるのだが、これは一人で走ると言うことで、一人旅だ。マラソンの喩えだが、後ろを振り返っても誰も付いてこない。姿が見えない。いい意味での独走だ。強すぎて競り合う相手がいない。
 この境地だと下田は納得し、その日写したような適当な写真ばかりをアップするようになった。その中には気に入っているものも含まれるし、苦労して撮したものもあるが、殆どは適当なもので、何かアップしないといけないので、あり合わせのものを上げていた。これが評判がよかったときは、来た人が気に入るようなものをと神経を使ったのだが、それが剥がれたのか、気楽になった。どうせ誰も相手にしてくれないのだから、好き放題でいいのだ。これを下田は独走状態と名付けた。
 その低レベルを保っての独走は結構気持ちがよく、写真の幅も拡がり、本来の下田の下手で中途半端な写真に戻った。
 閲覧者が減ったが、たまに褒められることもある。その度に下田は無視している。これは褒められ病の罠のためだ。
 人の意見を聞かない、感想を聞かない、評判を聞かない。これはこれまで下田が聞きすぎたため、弊害が出たのだ。
 それで最近は下田のペースで、淡々と写真を写している。評判はよろしくないが、下田は撮す楽しみを得ている。
 
   了

 



2015年5月26日

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