小説 川崎サイト

 

秘境へ

川崎ゆきお


 いつものように怪しいものを訪ね歩く高橋だが、そうそうあるわけではない。そこで秘境探検に切り替えた。しかし、こちらの方が見付けるのは難しい。しかも町中での話で、深山ではない。
 先ずそれに近いもとして、抜けられない道がある。これは新興住宅地に多い。開発がばらばらで、規模も小さい。そういう道は私道で、まっすぐ行くとすぐに行き止まりになるが、左右に道がある。それらの道も、前方を見ると、家。行き止まりだ。それで曲がり込むと来たときの道に戻っている。袋なのだ。一箇所しか出入りできないようになっている。だから、いくら奥へ行っても底を突くだけ、側面をなめるだけで、何ともならない。突き当たりにある家の向こう側にも家がある。そちらへは出られない。向こう側の家も壺の底なのだ。背中合せになっており、別の不動産屋が分譲したのだろう。二十戸や五十戸規模だ。
 いずれも、昔田圃だったところで、全ての田圃を一社が買い取ったのなら別だが、農家単位のためか、ちまちましている。その向こうに市道があればいい方で、全てが私道の集まりのような迷路になっている。これは一種の秘境で、それらの家々に用事がなければ、誰も通らない。誰も立ち寄る用のない場所になる。新聞屋や宅配便や郵便屋なら入り込むだろうが、それ以外は住んでいる人のみ。これを人跡未踏の秘境とは言わないが、それに近いものがある。村はなくなり田圃もなくなったが、それらの区画内に住宅村ができたようなものだ。
 高橋はたまにそういう袋小路村に迷い込むことがある。この先行き止まり……になる可能性がある。しかし、そんな表示はない。回り込めるため、車をバックさせる必要がない場合もあるからだ。向こう側へ出られないだけ。その向こう側の家の隙間から幹線道路が見えていても。
 それが古い佇まいの古民家が並んでいるのなら、まだしも、今風な組み立てハウスのような家々では、見る楽しみもない。狭い敷地では庭はあってもガレージで消え、上を行くしかないので、三階建て、さらに屋根裏まである。都合四階建てだ。隣との間隔は基準のぎりぎりで、まるで大渓谷。渓谷と言うより岩場だ。両手両足で踏ん張れは登れるような。
 見所としては、そんなものだ。奇岩が突き出ているのを見る思いにはなれないが。
 この袋小路秘境は、絶対に抜けられない。そういう袋が複数集まった町ではさすがに抜けられる道がある。昔の農道だ。畦道程度のものだが、これは共有地なので一軒の農家だけでは売れない。だから、多くは市道になっている。だから、抜けるためには、旧農道を見付けないといけない。
 袋小路は、そこで行き止まりになる。これは最悪で、左の家、右の家、そして正面の家で終わる。左右へ逃げられないので、車ならバックさせるしかない。私道のためか、この先行き止まりなどの標識もない。私道につき関係者以外立ち入り禁止、などはあるが、これは地主がそこに住んでいるのだろう。
 親切な通りでは、近所の人が抜けられないことを示すパネルを貼り付けている場合もある。
 袋小路でなくても、その区画全体が袋なのだ。
 高橋は敢えて、そういう道に入り込む。どうせ戻ってこないといけないことになるが、もしかして間道があるかもしれない。バイパスだ。それは強引にドブの中を進むとかになるが。流石にそれをすると冒険家になる。散歩人ではなくなるし、しっかりとした用事で来ている人ではなくなる。抜けたいがための冒険。そこに山があるから登る。そこに袋小路があるから抜けたい。流石に屋根を越えての山越えはしないが、無計画に、ばらばらに作られた新興住宅群。それを抜けるににはテクニックがいる。一番分かりやすいのは人通りだ。非常に細い道なのだが、複数の人が歩いている、それは私道よりも狭い旧農道。それを早く見付け出すことだ。そういう道は少し曲がっているが決して行き止まりにはならない。決して一直線ではない。そして、道路標識がしっかりとある。狭いわりには電柱が多い。電話線も。この方法だと、道を見ないで、上を見る。つまり電線や電話線などのケーブルを見るのだ。私道の電柱よりも、電線の束が多い。まだ、このあたりが田圃だったときから引かれていた幹線の電線類なのだ。当然電柱も古い。
 ただ、例の都合四階建てのような鉛筆のような家が多いため、見晴らしが悪く、空が見えない。ここはやはり大渓谷なのだ。
 高橋はそういう道に入り込み、底に穴の空いている袋を考えながら進む。その殆どは行き止まりか、回り込んで元に戻されるので、場所は狭いが、歩いている総距離は相当なものになる。
 これをやり出してから、まだまだ入り込んだことのない袋小路秘境が数多く残っていることに気付く。未踏地はまだまだ残っている。
 
   了


 



2015年6月5日

小説 川崎サイト