小説 川崎サイト

 

狐塚

川崎ゆきお


 妖怪博士の妖怪談を聞いていると、狐の仕業にすることが多い。これは筋だった理屈があるのではなく、狐や狸が好きなのだろう。昔、狐狸庵先生という人がいた。野中に庵を結び、そこで暮らしている世捨て人ではなく、有名作家だ。軽いエッセイなどを書くとき、自分のことを狐狸庵と呼んでいた。妖怪博士も妖怪庵に改名したいところだが、世捨て人でも風流人でもない。しかし、妖怪が起こす異変が頻繁に起こっているわけではないので、暇なのは確かだ。それに、そんな妖怪事件などあるわけもないのだが。
 そんなとき、担当の編集者がやってきて、無駄話をして帰るのだが、狐塚の話をしていた。そういう塚は方々にあるので、珍しくはない。お稲荷さんを祭っている岡、少しは盛り土をしていたりするが、もう祭らなくなったお稲荷さんもあり、朽ち果てて、そのあと祠もなくなり、岡だけが残る。それを狐塚と呼んでいる場合もある。また何か訳が分からない盛り土の岡、気味が悪いので、お稲荷さんを祭っていることもある。これは歴史的なんとかにははいらないらしく、また、遺跡と言うほどでもない。寺なら、廃寺跡程度の石碑は立つかもしれないが。
 その編集者が情報として持ち込んだのはおびただしい狐がいる場所らしい。妖怪博士はそこででもうピンときたのだが、暇なので、行って見ることにした。そこは中途半端に遠い。つまり一泊するほどの距離ではないが、乗り換えなしで行ける場所にあるので、行きやすい。近くでも何度も何度も乗り換えると、結構遠い場所になる。時間的な問題だけではなく、面倒なのだ。腰掛けて眠れば、起きたときは着いているのが、乗り換えなしの良さだ。
 それで、その狐塚まで来た。狐は妖怪の代表だ。人を化かすのだから。そして、妖怪談の中では、この狐が一番多い。だから、妖怪と出合う確実は非常に高い。ただ、お稲荷さんは妖怪ではない。妖怪にお参りする人はいないだろう。それに危ないではないか。それに妖怪にどんな御利益があるのか、それは考えられないが、狐を操る狐使いがおり、この狐は危ない。狐使い、狐持ちは竹の筒を持っており、その中に狐がいる。しかし、狐を飼っているわけではないし、そんな竹筒に狐など入らない。だから、目に見えない狐なのだ。狐憑きの、あの狐。
 狐塚は、そういうお狐さんの墓である可能性もある。
 その狐塚、周囲に自動車の修理工場やクリーニング屋の作業場などができ、それで入り口を塞いでいた。一寸した小高い岡なのだが、盛り土ではなく、断層が見えることから、隆起したのか陥没したのかは分からないが、地名に台地とある。
 繁みが見える。山と言うほどの高さはなく、二階建ての大屋根よりすこし高い程度。その登り口は、工場の裏側の路地に曲がり込まないと辿り着けない。断層のとっかかりのところに川が流れており、橋が架かっている。飛び越えられる程度の幅しかないが急流だ。落差があるためだろう。そこに鳥居でもあったのか、正体をなくした石が横たわっている。石橋にも欄干があったらしいが、それも積まれている。
 石橋を渡ると、いきなり階段。しかも急階段。これも適当な石を組み合わせてできた階段のため、歩調を取るのが難しい。さらに急勾配。たまに足の置き場がないところもある。鉄パイプの手すりが残っているが、ぐらぐらする。途中まで登り、振り返るとクリーニング屋の作業所が塞いでいるが、旧村時代は、参道だったのかもしれない。幹線道路で切られているが、住宅地の道とは関係なく斜めに細い道が続いている。それなりの規模があるお稲荷さんなのだが、これは誤解だった。このお稲荷さん近くに神社があり、その参道らしい。旧村時代の神社だろう。だから、当然参道はこの神社のものだ。神社も岡の上にあるが、そこは平らだ。
 さて、狐塚だ。ここが噂に聞く狐塚なのだが、すぐに分かるほど視覚的に訴えてくるものがある。岡の上は笹や灌木で覆われ、自然に帰ろうとしているのだが、そこに狐がいる。しかも一匹や二匹ではない。つまり、狐の捨て場なのだ。
 いらなくなった、または祭り主がいなくなったお稲荷さんの狐。これは祠の中に入っている狐ではない。神社の狛犬のように祠前に座っている狐だ。これの始末に困って、ここへ持ち込むのだろう。そして、ここのお稲荷さんも、同じように放置され、野に帰っている。神社の土地らしいが、管轄が違うのかもしれない。つまり神社だけの固定資産ではなく、ここは共有地だろうか。旧村民、つまり氏子達の土地だ。
 妖怪博士は岡の上を探索した。岡は横へ長く、狐塚は瘤のように飛び出しており、お稲荷さんの祠跡が確認できる。狭い場所だが、草むらの中にぽつりぽつりとお稲荷さんが顔を出している。中には足が取れていたり、耳が欠けているのもある。それらの狐の石像は狛犬と同じで、稲荷大明神そのものではない。狛犬は犬ではないが、番犬のように見える。番狐。妖怪博士は時々、こうして適当な名前を付ける。そのため国語辞典や広辞苑には出てこない。珠をくわえている狐と巻物をくわえている狐がペアを組んでいる。作られた場所が違うのか、狐の顔は様々。さらに大きさも結構違う。
 確かに狐塚。しかし本物のお稲荷さんではないし、ましてや稲荷大明神が捨てられているわけではなく、番狐だけ。だから、これは妖怪化してもかまわない。
 狐は人を化かすが、これらの石狐、動きそうにない。狐の持つしなやかな動きは無理だ。まあ、石だから仕方がないだろう。
 しかし、草むらから顔を覗かせている狐と目が合うとぞっとする。石だと分かっていても。
 妖怪博士は、一段高い崖の上にも狐がいるので、強引に登ろうとして、ずり落ちた。
 周囲を見ると、狐の石像達が笑っているように見えた。危ない危ない。これは化かされるぞと思い、急いで急階段を降りた。
 
   了

  




 


2015年6月6日

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