小説 川崎サイト

 

禁忌の浜

川崎ゆきお


 今はもう誰もいない海……というのは海水浴場だろうか。夏場は人で賑わっていた。そうではなく、夏でも冬でも人が寄りつきにくい入り江がある。岩場が多く、流れが急で水泳には適していない。また、磯釣りの人も、ここには来ない。敢えて来ないのだ。避けて通る場所。
 僅かに砂浜はあるがすぐに崖。絶壁と言ってもいい。その壁沿いに穴が空いている。洞窟だが、奥は浅い。ここにも海の水が入り込む。引き潮のとき、奥まで行くと、当然のように石仏がある。地蔵と不動明王。奥に地蔵、手前に水掛不動。水ではなく海水を被る。そのため貝殻が付着している。地蔵を明王が守っているような感じだ。地蔵の後ろの壁には蝋燭立があるが、高い位置にある。潮がここまでは来ないが、波が強いとき、しぶきがかかるのだろう。今はお参りに来る人は希で、子供が冒険で、ここまで来る程度だろうか。最後に蝋燭に火が付いたのは、いつなのかは分からない。その形跡が残っていないのだ。
 この入り江に近い漁村の人間でも、ここまで来る人は特別な人だ。土地の人でもお参りに来ない。来るのは呪家と呼ばれている家系の人だけ。ただ、そんな漁村も昔の話で、今は漁はしていない。こんな近海では食べていけないのだろう。遠くまで行くほどの規模の船もない。
 この洞窟で、何があったのかは誰も語らない。語れないのだろう。日常での信仰のための施設ではない。そして、誰も近寄らないのだから、それで様子が知れる。
 旧漁村から浜辺に沿って歩いて行ける場所ではなく、山の根が一本海に入り込み、壁のように塞いでいるため、気楽には行けない。当然道路などはない。日常的にも、そこへ行く用事はないが、あるとすれば海藻拾い程度だろう。
 洞窟内で起こったことと言うより、その入り江で起こったことは、もう昔の話で、呪家の家系が、それをお伽噺、童話のようにして語り伝えている程度だ。そのため、本当にあった話としては村人は思わなくなっている。これが狙いなのだ。
 結局は血なまぐさいことが起こり、その後始末で地蔵、そのあと不動明王が立った。水に流そうとでも言うのだろうか。海水なのだが。
 忌み地、もうそれだけでいい。真実を知ってもどうにもならないし、この漁村の先祖が何をやったのかを子孫に聞かせるのは酷だろう。そんな責任はないのだから。岩場の沖近くに岩礁があり、座礁する船もあったとか。お伽噺はそこから始まっている。
 地蔵の年代を見れば、それが起こった時期が分かるはずだが、そんな野暮なことはしない。あくまでも海の安全を願う地蔵さんだ。こういう海辺の洞窟なら、必ずそういうものが奥にある。珍しいものではない。黄泉の国、常世の国への入り口とか。
 昔は忌み嫌う場所で、寄りついてはいけない場所として、禁忌地とされていたが、今はそんなことを言わなくても、訪れる人など誰もいない。
 ただ、その洞守のような呪家のお婆さんが、たまに見に来る程度だが、その跡継ぎはなく、それもやがて果てるだろう。
 
   了




 


2015年6月7日

小説 川崎サイト