小説 川崎サイト

 

鞄買い

川崎ゆきお


「鞄というのは一つ買うと、二つも三つも欲しくなりますなあ」
「えっ、そうなんですか」
「そうなんですよ。鞄が鞄を呼ぶわけじゃないけど、それを買うとき、色々と物色するでしょ。同じ店でも一つか二つ、いいのがある。また本当はいい物なのに、それに気付いていなくて、無視しているものもある。当然他の店へ行けば、また違うタイプの鞄がずらりと並んでいる。不思議とどれも気に入らないような品ばかりの店がある。特に値段が気に入らないとかね」
「鞄なんて、一度買うと数年持ちますよ。その気になれはずっと使えます」
「そういう鞄、持ってますか」
「持ってます」
「使ってます?」
「いいえ」
「捨てないで残しているだけでしょ。特に高かったものや、思い出の詰まっている鞄は」
「そうですねえ」
「実際は何処かで買い換える」
「ああ、そうですねえ。そのタイミング、よく覚えていませんが、やはり数年はずっと同じ鞄ですよ」
「タイミングがあるでしょ。思い出して下さい」
「え、何の」
「だから、買い換えるタイミングですよ。今、あなたがお持ちのその鞄、どういうきっかけで買いました」
「ああ、前、使っていた鞄から糸が出て来ましてねえ」
「糸」
「表面は皮なんですが、内側は布で、ファスナーがよく噛んでました。面倒なので、強引に引っぱたりしたものですから破れてしまいました。まあ、内部なので問題はありませんが、その布から糸が出て来たんですよ。それでますますファスナーに挟まって、中はもうボロボロですよ。それと、表側の皮、偽皮でしてねえ。それはいいのですが、皮がむけてきました。これは擦れてむけたのです。焼き芋の皮のように」
「はいはい、詳しい事情有り難うございます。私の場合、鞄は無事だ。無傷の連合艦隊のようにね」
「ああ、はい」
「だから、ずっと使える。ただ、あるタイミングで鞄が欲しくなる。あなた、そういうタイミングはありませんか。古く傷んできた以外に」
「いえ、特に」
「そうですか。私はそうではなく、ちょいと気分転換に安い鞄を買ったりします。それがいけない」
「え、何が」
「だから、安い鞄を買うといけない」
「安いとだめですか」
「だめじゃない。気に入らんところが出てくる。例えばポケットの深さや大きさ幅が今一つ気に入らん。ポケットの数も気に入らん」
「ポケットが少ないとか」
「多すぎてもだめなんだな。外側のポケット、似たようなポケットが四つほど前後にあったりすると、もういけない。そこにチケットを入れたのだが、四分の一の打率になる」
「どのポケットか忘れるわけですね」
「そうだね。それと、内側にも無数のポケットやファスナー付きの小部屋がある。ここに何を入れようかと考える。しかし、この鞄だけをずっと使うのならよろしいが、たまには変える。すると、それらの小部屋の物を全部取り出さないといけない。引っ越しが大変だ」
「僕は鞄の中のポケットは使っていません。小さなポーチを突っ込んでいます。二つほど。その袋を移動させるだけでいいです。それに鞄の中の深いポケット内から探すより、ポーチを取り出して、それを目の前で開けた方がはるかに見晴らしがいいし、出し入れしやすいです」
「その手も考えましたよ」
「それで、何の話でした」
「それなんだ。鞄を買うと、もう一つ欲しくなる」
「はいはい」
「気に入ったので、買ったのだが、ショルダーの幅が気に入らんとか、生地が気に入らんとか、ポケットのマジックテープが気に入らんとか、色々と出てくる。そのとき、候補としてあったもう一つの鞄、それはその問題を解決しておる。じゃ、最初からその鞄を買えばいいんだという話だが、なぜかデザインが気に食わん。それに実用的ではないようなデザイン、形をしておる。これが気にいらんので、次点とした。しかしその他は、満足を得るものだった」
「ありますねえ。買わなかった方の品物が気になるとか」
「それで、我慢できず、その鞄を買いに行く」
「ポケットをマジックテープで止めないタイプですね」
「そうそう。あのマジックテープ、指を擦って痛い。鞄の中で噛まれたようなものじゃ。飼い犬に指を噛まれる思いよ」
「はいはい」
「それで、デザインは気に食わんが、その他は全部O.K.のを買うが、今度はそれとはまったく別のタイプの鞄が欲しくなる」
「はあ」
「薄型のビジネスバッグ風ばかりだと、底がないので、いくらも入らん。そこでボストンバックのようなタイプが欲しくなる。十分な底幅のある。猫が座れるほどのね」
「はいはい」
「しかしボストンバッグでショルダーは、ごろんごろんする。これは手提げがいい」
「はいはい」
「それを買ったんだが、今度は手提げの持つところが気に食わん。細くて指が痛いんだ。もっと厚みがほしい。それに弾力も」
「紙袋のように糸のように細いわけじゃないでしょ」
「それだけじゃない。手提げでもいいんだが、もう少しその手提げの紐が長ければ肩にかけられる」
「はいはい」
「それも買ったんだが、すぐにずり落ちるし、二本かかるはずなのだが、一本だけになるし、また落ちやすい。それで満足を得ん。それで思い付いたのがリュックだ」
「じゃあ、全タイプ買うことになるじゃありませんか」
「同じタイプでも、違いが大きい」
「際限がありませんよ」
「しかし、気になり出すと、止まらない」
「それでどうなるのですか」
「そうして、鞄屋をウロウロしているとき、適当に買ったもの、本命じゃないよ。半ば冗談で買ったものが、よかったりする」
「思案の外の物がよかったんですね」
「これがその鞄だ」
「普通ですねえ」
「何の変哲もない。何処にでも売っておる平凡な鞄だ。これに落ち着いた」
「ポケットの大きさとか、紐がどうのとかは」
「それを越えた」
「はあ」
「乗り越えたよ」
「その秘訣は」
「買いすぎて疲れただけさ。もう次のを買う元気がないから、止まったんだ」
「はい、ご苦労様でした」
 
   了





2015年6月9日

小説 川崎サイト