小説 川崎サイト

 

不快な演奏

川崎ゆきお


 一度不快な目に遭うと、その場所や人とは接したくない。といって用事があったり、仕事なら、そんな呑気な感情問題に構ってられない。その不快さよりも、より快適なものが得られるのなら、当然不快な場所や人は問題ではなくなる。感情とは勝手なものだ。
 お宝がその先にあるのなら、苦しく辛い冒険でもやるだろう。それがない場合、敢えてそんなところへは行かない。欲深い人ほど不快を感じるようで、それだけ、抵抗に遭うためだろうか。欲が少ない人は、それに見合ったものしか手に入らないが、その過程の不快感も小さいだろう。
 低いリスクで、高い結果を得るのが欲張りな人だ。
 ただ、抵抗体に遭遇しても、それを不快だとは思わないかもしれない。快不快の原則も当てはまらないことが多い。不快が快感に繋がるわけではないが、ちょとした歯ごたえは必要だろう。スラスラ行くと逆にやりがいがなかったりする。
 快不快がくるのは、人間関係に多い。それも些細な言葉のやり取りや、相手の態度などで。
 物は言いようで、言い様の下手な人が結構いるが、これは下手なのではなく、敢えてそういう言い方をしている場合もある。相手との関係性から出て来るのだろう。要するに相手に不快な思いをさせることが分かっている確信犯なのだ。
 相手の快不快を上手くコントロールしている人でも相手を喜ばせるだけの人は、かなり下手な人だ。その逆もそうだ。
 そんな取引、やり取りではなく、情緒的にそうなる人もいる。精神状態が不安定なのだろう。敢えてそう言う態度を取るというのではなく、そうなってしまうようだ。
 情念の怖さは、もっと奥の方でのやり取りで、潜在的に持っている好意や悪意だろうか。これは好き嫌いだけかもしれない。最初から苦手な顔とか、苦手な人とかがいる。その殆どは不快さと繋がっている。この不快さが曲者で、白でも黒になってしまう。好意も悪意に感じたり。
 しかし、それが人間のおかしなところで、悪いことばかりではない。捨てる神もいれば拾う神もいる。
 それで、不快さだが、不快なだけで見返りがないと、これは動きにくい。その見返りを色々と考えたりする。何もなければ最後にくるのは、人格者だ。人柄がよいという評価だろうか。この勲章を貰っても大して役には立たない。お目出たき人と似たようなものだ。
 また、人には面子や鼻柱がある。鼻の高さではなく、天狗のように威張っていたりする。しかし、天狗の位は高くはない。漢字を見れば分かる。犬だ。
 快不快の原則に入り込むと、子供っぽくなる。そこまで戻るのだろう。
 
   了

 

 




2015年6月21日

小説 川崎サイト