小説 川崎サイト

 

お稲さん

川崎ゆきお


 村里と言うにもう開けすぎており、農村風景も里山風景も、ここにはないのだが、もう少し奥に入ったところに、妙なものがまだ残っている。やや湿気た上流の川で、大きな谷ではない。山から里へ流れ込む大きな川の支流の一つだろう。
 里から見ると、明るい里山ではなく、じめっとして、いつも陽が当たらないう陰気な沢だ。この川はすぐになくなる。非常に短い川なのだが、その突き当たりに小さな滝がある。ちょろちょろと水が落ちている程度で、滝と言うほどでもない。規模が小さいためか、自然のまま放置されている。滝の上に川や湖があるわけでもない。
 滝の右側の斜面に小径が続いている。そちらへ行っても行き止まりだが崖にぶつかる寸前のところにお稲荷さんのような祠がある。鳥居はない。
 このお稲荷さんは狐を祭っていない。稲の神様なのだ。これはありそうな神様だ。稲の神様らしいが、正体が分からない。お稲荷さんにも稲という漢字が当てられている。しかし、ここは稲神社なのだ。古老はそれをオイネさんと呼んでいる。
 その御神体はとくにないので丸い鏡を置いている。その前に供え物を置く四角いお盆のような台がある。三面に大きな穴が空けられており、それで三方と呼ぶらしい。ここに樅のままの米を供えるのだが、今は白い米粒だ。その方が手に入りやすいためだろう。雀が喜びそうなお供え物だ。
 夏の暑い日になると、藁の輪が出る。藁で作った大きな丸い輪だ。人が潜れるような。
 これは稲野の国へ行くためのワープロポイント。異次元へ繋がるアーチだ。その輪が祠の前に置かれる。これを田植えがすんだ頃、毎年やる。稲の家が里にあり、代々そこの当主が仕切っている。
 この稲の家の姓は稲野さんで、何人も稲野さんがいる中の一軒だ。当然、もう農家はなく、田畑もないので、儀式だけが残っている。当主といってもサラリーマンなので、休みの日に、輪を作り、そして、一週間ほど出す。特に行事は無い。昔は色々とあったようだが、面倒なので、やめている。こういう年中行事は、この地方にも色々とあったのだが、殆ど途絶えている。だからお稲さんの輪を設置するという行事は、残っているだけでも大したものなのだ。
 それは稲野さんが、しっかりと守っているためだろう。
 稲藁の輪は木材を四角く組んだ額縁のようなものを立て、そこに注連縄の緩いものを大きく円形に回した程度のものだが、最近では、藁が手に入らないので稲野さんは、少し離れたところにある農家から貰っている。
 輪を潜ると、お稲さんの祠の前に出る。うっかりすると祠にぶつかる。決して、何処でもドアのように、別世界へ飛ぶわけではないので、静かに潜る。
 要するに豊作を祈るための儀式なのだが、里がまだ農村時代でも、個人的な行事に近かったようだ。つまり稲野の家に伝わる神事で、村の神事ではなかった。村には村の神社がある。豊作などの行事は、当然そちらで行う。
 稲野さんが伝え聞く話では、藁の輪を潜ることで、お清めや、ミソギではなく、稲野の国へ、本当にワープルするらしい。稲野の国とは、稲野さん達の先祖の国だろう。だから、先祖崇拝に近い。稲の神様と言うより、稲野氏の先祖人だろうか。
 だから、稲野さん達だけの儀式なので、規模が小さい。当主が稲藁の輪を作ればいいだけのことだ。
 また、この陰気な滝のある場所は、稲野さんの持山であるため、長く続いているのだろう。
 今では、当主の稲野さんとその家族と親戚しか、この行事に参加していない。
 輪を潜り、稲野の国へワープできるらしいが、肝心の稲野の国が何処にあったのかは、今ではさっぱり分からないようだ。
 
   了

 





2015年7月6日

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