小説 川崎サイト

 

川底地蔵

川崎ゆきお


 古墳が神社になり、少し高いところに社殿がある。村の神社だ。その入り口は四角な岡で、本殿までは階段で上がる。その階段脇に祠がある。よくあるようなお稲荷さんではない。鳥居がないし、朱いものもない。その周囲に石仏がびっしりと並んでいる。石仏置き場になっているのだろう。道祖神や石塔、お地蔵さんもいるが、顔のあるもはない。首が取れているのはあるが。
 古墳より、こちらを見ている方が生々しく、また具体的だ。その祠には顔のある地蔵さんがいるのだが、粗末にできない言い伝えがあるらしい。他の石仏や石はもう謂われは忘れられているが、祠に入っている地蔵さんには謂われがある。
 ある時代によくあった話だろう。日本中にあるかのしれない。その中の一つだ。定番の話なので、分かりやすい。聞いた人も、ああ、あれかと思うだろう。
 それは祈祷師の婆さんが言い出したことで、お告げだ。川の底に地蔵が沈んでいると。これは地面の下でもいい。ここでは川だ。その地点を祈祷師の婆さんは言い当てている。この村の人ではなく、二つほど向こうの村に住むお婆さんだ。
 昔は村に普通に祈祷師や、呪い師がいたのだろう。それでやっていけるだけの需要があったに違いない。お婆さんは二つ向こうの村にある川を指定した。しかし、誰も信じない。そこで婆さんは村の長老に何度も頼み、助け出すようお願いした。
 村の長老が、実行に移したのは、評判の祈祷師だったからだろう。無視できないような。しかし、何度かは無視している。面倒な話のためだ。しかし、川の底に地蔵がいるというのは、聞き捨てならない。ついに実行することにした。長老自ら川に入って調べるわけにはいかないので、村のものを使うことになる。
 しかし、婆さんが指定した場所からは地蔵は見付からなかった。その川というのは掘で、古墳を囲んでいる堀なのだ。当時からここは神社になっている。
 掘は古墳の一部で、その近くを掘ると何か出てきても不思議ではない。埴輪などが盛り土を囲むように配置されていたりする。
 しかし、地蔵は出てこなかったので、祈祷師の婆さんの信用はがた落ちだった。しかし、そんなはずはないと婆さんは、もう一度お願いした。地蔵は必ず出てくるはずで、川底の位置を間違えたのかもしれないからだ。地蔵は川底の泥の中にあるはずだという。
 これは、もう分かりきったことだが、祈祷師が誰かに頼んで、川底に埋めたのだ。だから、出てきて当たり前。それが出てこないのだから、逆に怖くなってきた。
 川底に埋めた地蔵が動いたことになる。池のような掘なので水の流れはない。だから石の地蔵が動くわけがない。
 そして、探す場所を拡大してもらい、川底をさらえた。普段は川底が見えるほど浅いが、濁っている。水が少なくなれば、地蔵が見えてしまうので、泥の中に埋めたのだろう。
 それで地蔵が出て来た。決して大きなものではない。長方形の分厚い板のような石。地蔵はその中に浮き彫り、レリーフだ。つまり、抱えられる大きさ。背負える重さに治まっている。これが二人がかりでも持ち上げられないような地蔵なら霊異記に載るだろう。それに載らないのは、出ただけで、それだけで終わっている。その後の話はない。出たと言うだけの話のためだ。
 その地蔵さんは今も祠の中にいる。他の石仏などは野ざらしで、古墳跡の断層近くに寄せ集められているのに。
 やはり曰く、謂われがストーリーとして残っているため、大事にされているのだろう。当然、それを保存しているのは、村の人達だ。祈祷師の婆さんの話が嘘だとは分かっていても、そういう縁起がしっかりと伝わっているためだ。
 ある専門家が、その地蔵を見たとき、年代がすぐに分かったようだ。その祈祷師の婆さんの時代のもので、村の石屋が適当に彫ったような、ありふれたものだ。
 それから何百年も経つ。そのため、この地蔵さんも古びているが、野ざらしではないので、風化しないで、目鼻立ちが残っている。それが貴重らしい。
 夜になると、祠に入れてもらえない野ざらしの地蔵が、その祠を襲うとかの話は、当然ない。何せお地蔵様達なのだから。
 
   了

 





2015年7月7日

小説 川崎サイト