小説 川崎サイト

 

泥棒市場

川崎ゆきお


 閑古鳥の巣になったようなアーケードのある洞窟のような商店街に、最近現れる店屋がある。シャッターや雨戸、カーテンの掛かったガラス戸などはそのままなのだが、洞窟が狭くなっったように、通路の幅が狭くなる。露店が出ているのだ。
 露店はシャッターの前に即席の台や棚を作り、そこで妙なものを並べている。ただでさえ狭い通路なので、それ以上幅が取れないのだが、シャッターを背に台を置き、そこで帽子などを売っている。また、かなり広いスペース、これは横へ拡張するため、二店舗か三店舗分の幅で店を出している。ここは鉄道忘れ物市となっているが、泥棒市ではないかと思えるほどだ。盗んだかどうかは分からないし、そんなルートがあるとは思えない。何故ならただの忘れ物傘のためだ。だから、拾ってきたものではないかと思う。盗むには値打ちがなさ過ぎるし、リスクが高い。
 ではガレージセールのようなものかというと、そうでもない、何十年もやっていそう業者風の人が多い。ただ、夜店などの露天商とは趣が少し違う。枯れているのだ。そして年配者が多い。また、こういう商店街や市場などの客は高齢者が多い。そのためか、マッサージや整骨院、按摩やほねつぎ、お灸や指圧の看板がシャッターの隙間に、ぽつんぽつんとある。シャッターが降りていない店で、残っているのは聞いたことのないような百均だ。チェーン店ではなく、個人の店で、何でも百円で売られている。ただ十円ほどの商品でも百円なので、迂闊に買えない。
 この商店街は、昔は市場と言われており、鰻の寝床のように長い。全盛期は枝道があり、違う名前の市場が派生していた。都合三つか四つの市場が繋がっていたのだ。今は本通りしか残っていない。周囲は巨大マンションに取り囲まれ、ここだけが亜空間の未来都市、しかも崩壊した都市の下町のようになっている。アーケードのため、上からは見られない。そのため、グーグルの航空写真で見ても、分からない。隠されているのだ。
 殆どの人は用がないため、またここで買い物などしないため、いち早くシャッター通りとなり、真っ先に閑古鳥が鳴き出した場所だ。しかし、それが息を吹き返したのか、今では泥棒市場として人気がある。ただ、泥棒ならもっと高価なものを盗み出すだろう。老眼鏡や虫眼鏡を盗み出しても仕方がない。
 これは売る側が泥棒なのではなく、買う側が泥棒の気分になれる。下手をすると高いものを掴まされるが、相場よりかなり安い。
 本物の鉄道忘れ物市の傘よりも、この泥棒市場での傘の方が安い。
「持ってけ泥棒」というのが売り手側の口上としてある。こんなに安くしているのだから、買う方が泥棒だと言わんばかりの。
 そういう店が、通路の暗がりにぽつんぽつんとある。実際には店ではないのだが。それでも市場の出入り口は優先順位があるようだ。
 いったい誰がどのようなシステムで動かしているのかは分からない。自然に立った市なのかもしれない。そういうのを市場原理というのだろうか。おそらく違うと思うが。
 また、買いに来た人が売っているのではないか。つまり買い取ったものを売っているようにも見えるが、そういう看板はないし、買い取り風景もない。
 当然、そこには普通の露店の店もある。こんな服、何処に売っているのかと思えるような婦人服がある。こういう店で売られているのだ。これも出所は分からない。夏はゆったりとしたムームーやアロハ系が多い。
 しかし、殆どの屋台や露店の店は、許可を得ているらしい。シャッターを閉めてしまった店から許可を得ている。また大きすぎたり、高価なものを売っている店は、店内の土間などを借りているようだが、殆どの露店は通路だ。市場の陳列台が通路側にはみ出して売っているのと同じ理屈だ。だから、流行っていた頃のこの市場の通路も、昔は狭いと感じたのだろう。
 縁日などで寺や神社の参道に露店がよく出ているが、ここでは毎日が縁日のようなものになっている。
 市場の商店主ではなく、外部から来た業者達で、通称泥棒市場は賑わっているようだ。
 
   了


 

 


2015年7月10日

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