小説 川崎サイト

 

書を捨て街に出よ

川崎ゆきお


「書を捨て街に出ようという書がありましたねえ」
「あ、昔ねえ」
「書より、つまり本などより、街に出た方が豊かだということなのかもしれません。より現実的な。書なんて、それに比べるとバーチャルなものですから。それに実感が大事です。実感が」
「しかしその本、何処で読むんでしょうか」
「え」
「その本を買って、さあ読もうとした場合、結論は出ているのでしょ」
「えっ」
「だから、書を捨て街に出ようなんて本を読むより、街に出た方がいいんですから、買う必要も読む必要もないじゃありませんか」
「だから、そう言うことが書かれたメッセージの本ですよ」
「じゃ、やはりまだ本の中の世界なんですな」
「本に書かれてあることを実行するなんて希でしょ。読み物ですよ」
「はあ」
「君主になるための本がありますねえ。これは君主になる可能性のある人が読む。庶民は読みません。また、読む必要がない。実にいいことが書かれていても、実際に君主になっても実行出来ないでしょ。現実と書とは違う。そういうことです」
「しかし、町に出るというのはどういうことでしょうか」
「街と言うより、外でしょ。外と言うより生の現実に接せよということじゃないですか。その本読んだことがないので分かりませんが」
「私もです。若い頃に本屋で見た程度です」
「あなたもですか」
「これほど分かりやすい本はないですねえ。タイトルだけで、もう十分」
「そうでした。私もそれで買う必要がないと思いましたよ。だって、家で読むわけですから、買った瞬間捨てるわけにはいかないでしょ。もったいないから一応最後まで読むのが普通ですからね。するといいことが書いてあると思い、それに類する本はないかと探したりしますよ」
「だから、その本を捨てて街に出ないと」
「街にはどんな情報がありますか」
「情報ですか。さあ、街というか生の現実ですなあ。現実的な行動の意味じゃないですか」
「あなたはどうです」
「私は仕事以外でも毎日街に出ていますよ。同じ場所ですがね。大した変化はないし、得るものなんて、殆どないですよ。だから、街に出た程度じゃ何も変わらない」
「電車の中でスマホなんか見ている人がいますねえ。あれは外に出ているのに書を持ち込んでいるようなものでしょ」
「書とは限りませんよ。色々とコミュニケーション系のことをやったり、動画なんかを見たりしているのでしょ」
「でも街に出ても、本のようなことをやっているわけだ」
「スマホなどない時代でも、私なんて、外に出るときは文庫本なんかを尻のポケットに常に入れていましたよ。それを読むために外に出るわけじゃないですがね」
「街に何があるかです」
「はいはい」
「書を捨ててまで、街に出る。街に何があるかです」
「はいはい」
「意味、分かります」
「ああ、私の場合は、街には大した情報はありせん。地球の裏側の事件など街に出ても分からないでしょ、得るものなんてあまりないです。街を散歩しているだけではね。やはり何か活動しないと」
「純粋に街に一人で出て、得ることがあるのしょうかねえ」
「本のタイトル通りね」
「例えば」
「今という空気でしょ」
「ほう」
「本に書かれているのは昔の過去の空気で、リアルタイムの今の空気じゃない。その今の空気というのは私の今と重なる。確実にリンクしている」
「書のように難しそうなお話しですねえ」
「そうこじつけないと、見出せない世界ですよ」
「ほう」
「街の個々の情報は大したことはない。こだわりのコロッケ屋が出来たり、古本屋がクリーニング屋になっても、大した情報じゃない。しかし、今そこを歩いている人、今そんな店があるとか、そんな通りがあり、そこをどんな靴を履いて歩いているのか、どんな服装なのか、そういうものが綜合して伝わってくる。見慣れた風景でもそうです。その全体が空気なんです。今のね。この時代の最先端。最前線箇所です。それに比べると書の世界は古い。それに前線に立っているのは私じゃなく著者だ。それにもう過去の世界ですからねえ。活きがない。鮮度がない。そういうものより、何でもないような町中にいるときの空気感の方が最前線だ。そしてそこに今置かれている私という最前線がぶつかり合い、せめぎ合う」
「もう分かりません。そんな前線なんて、見えませんし」
「それはねえ、自分の今の状況とリンクさせ、重ね合わせて読み直さないといけない」
「もう無理です。本の中の話の方が分かりやすいです。空気なんて、雲を掴むような話ですから」
「感覚です。時代感覚です」
「それもまた曖昧で、そんなこと思いながら歩くなんて、おかしいですよ」
「いやいや、それは思わなくても考えなくても直感的に入ってくるものなのです。これを純粋経験と言います」
「ああ、はい。もう勘弁して下さい」
「はい、今日はこのへんにしておきましょう」
 
   了


 


2015年7月14日

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