小説 川崎サイト

 

伊賀構

川崎ゆきお


 少し小高い場所に神社があり、そこから田圃の拡がりがよく見える。宅地で埋まってしまった村ではなく、ここはまだ田園風景を残している。おそらく、ここからの見晴らしが一番良かったのではないかと思える。
 神社は村の神社によくある神様が祭られており、特徴はない。境内が狭いのは盛り土のためだろう。それほど広くは盛れなかったのかもしれない。
 社殿の前には当然狛犬がいるが、石灯籠がある。そこに穴が空いている。当然ローソクなどを入れるための穴だが、よく見ると、それだけのものではないようで、穴は二つある。一つは大きい目の丸い穴で、これは石をくり抜いたものだ。ソフトボールほどの大きさだ。手と蝋燭を入れるには、それでいいのだろう。その反対側に三日月。これは流石に細い。
 ここに明かりが灯ることは滅多にないのだろうが、丘のような場所にあるため、田圃からも見えるかもしれない。
 さて、その三日月だが、明かりが入ったとき、それが浮かび上がる。反対側は満月だろう。凝ったことをしている。
 その石灯籠に文字が刻まれている。伊賀講と。伊勢講なら聞いたことがある。皆で団体旅行のようにお伊勢参りをするだけではなく、月に一度は集まる構組織だろう。
 この村から伊勢へは歩けば数日かかる。江戸から伊勢までの距離に比べれば、はるかに近い。伊賀は伊勢に行く途中にある。伊勢まで行かないで、伊賀に行くのだろうか。伊賀神宮など聞いたことがない。伊賀にも古い神社があるかもしれないが、イメージとしては忍者だ。
 と言うことは、そのままではないか。つまり、ここは伊賀者の集まりではないか。ただ、それでは丸わかりになる。
 伊賀にゆかりのある人達が棲み着いたのだろうか。それとも草と言って、忍者の中でも最も忍耐と時間がかかる村人に完全になりきるまで棲み着いた忍者だろうか。
 しかし村の聖地の神社に、伊賀の忍が、そんな分かりやすいことをするわけがないし、それでは草の役目を果たせない。
 ということは、もう忍者が活躍していたような戦国時代が去り、その草となった忍びの子孫が意外と村で繁栄し、村の有力者になったのではないか。そしておおっぴらに伊賀構をやっていたと。
 月に一度、この高台にある神社で、手裏剣の練習や高跳びの練習をやっていたわけではないだろうが。
 そして、伊勢講のように、故郷の伊賀へ里帰りを団体でやっていた。そう見るべきだろう。
 ちなみに、この満月と三日月の穴。満月側から覗くと、三日月型の風景が見える。これが摩訶不思議なほど幻想的な村の風景となる。その逆もある。
 この石灯籠、伊賀者の技を今に残す、幻術系の名残かもしれない。
 
   了
 



2015年7月21日

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