小説 川崎サイト

 

アンコの出た夜

川崎ゆきお


 リリーン
「はい川崎です」
「あたし」
「ああ元気?」
「それがえらいこっちゃねん。アンコが出てもうてん」
 深夜の電話友達アキちゃんからである。
「どうしたん」
「気持ちがええねん。川崎さんにも勧めるわ」
「どないするのん?」
「眠たい時にな、寝んと我慢するねん。絶対に寝たらあかんねん。眠りに入る一歩手前で頑張るねん。そしたらアンコが出てもうて気持ちがええから」
 アキちゃんは体から魂を出してしまったようだ。
「それは難儀やで」
「難儀」
「魂が抜けるやつや」
「そうそう遊離するねん」
 アキちゃんは夜中に布団の中で危ない遊びをしていたらしい。
 金縛りというのがある。手足も首も動かなくなるやつだ。
 僕はアキちゃんからの電話で、金縛りの謎を解くことができた。つまり金縛りとはアンコが出てしまった状態なのである。
 まず、ピーと焼き芋屋が通ったときのような耳鳴りの音がする。そして本人は起きているのに寝息が聞こえる。床下で犬でも寝ているのかと思う。または隣の部屋の人の寝息が聞こえてくるのかとも思う。自分の寝息を自分で聞いているわけである。寝ている自分と起きてそれを聞いている自分がいる。
 つまりアンコがはみ出しているわけである。だから自分の寝息を他人のように聞いてしまう。もちろんアンコに耳はない。耳で聞いているわけではない。
 そして縛られたように手足も首も背中も動かなくなる。はみ出したアンコになった自分は懸命に手足に命令を下すが、アンコと手足とは神経が繋がっていないので動かない。
 僕はその思い付きをアキちゃんに説明した。
「そうかなあ。そしたら何で気持ちええのん?」
「せやさかい肉体を脱いだ状態やから軽やかなんや」
「川崎さんも金縛りになったとき、焼き芋屋のピー聞こえるか」
「僕が金縛りに遭うときは余程疲れたときでな。体の中にいてるのが疲れるからや。ほんでな。体が疲れてるのに気が張ってぜんぜん寝られへんけど、体の方が先に寝てしまいよるねん。焼き芋屋のピーはアンコが出るときの音やと思うで」
「あたし今夜頑張ってもう一度アンコ出してみるわ」
「やめときて。飛んで行ってしもうたらどうするのん」
「窓閉めてするわ」
「やめときて」
「あたしもっと練習してアンコ飛ばせるようになるねん」
「ちょっと待ちて。帰って来られへんようになったらどうするのん」
「やばいかなあ」
「やばい。こういうオカルト事に走ったら、ろくな結果にしかならんで。やったらあかんで、やったら」
「うん」
「僕なんか寝入りばな怖いもん見るで」
「何?」
「眠りに入る直前にな、人間の顔が浮かびよるねん。初め、模様みたいなのが現れてな、何かなと思うて見てたら人間の顔やねん。しかも普通の顔と違うで。白黒の陰影のはっきりとした怖い顔でなあ。ワッと叫びそうになるねん。それで目を逸らそ思ても魅入られたように見続けてしまうねん。そらもう怖い怖い。たまらんようになって目を開けるねんけどな、開けてもまだ見えとるねん。もう逃げられへん」
「それ怖いなあ。見いひんかったらええのに、あほやなあ」
「見とうないわいな。しゃあから目を擦って像を散らしてまうねん。ほんだら消えてまう。よかった思て、さて寝よ思たらまた出て来るねん」
「あほやなあ。見ないな」
「見えるんやから、しょうがないやんか」
「川崎さん、それいったい何やのん」
 僕はアキちゃんが「ああなるほどなあ」と驚いてくれるような説明を考えたが、とっさに思い付かない。
 霊が来ていると答えるのはありふれていて面白くない。
「何かわからへんわ」
 と、返事してその話を打ち切った。
 まさか、どこからかアンコが飛んできたわけではあるまい。僕の目の錯覚だろう。しかし、錯覚でも感じてしまうと現実と変わらないリアリティーを発揮する。
 視覚的なものだけではなく、考え方や物事の捉え方においてもその作用は同じである。
 人間は絶対の客観視が不可能な動物である。そして、隙間だらけの闇の空間を埋めるためにあらゆる手段を講じる。要するに安心を得たいわけである。
「川崎さん。幽霊おると思う」
「えっ」
「霊魂の存在を信じる方?」
「ううん」
「見たことある?」
「ないけど、人のはよう聞くなあ」
「あたしも」
「せやから、おるのとちがう」
「あたし、アンコ出したやろ。せやからやっぱりいてると思うわ」
「うん」
「死んでも魂が残るとするやろ。あたし現世であんまりええことしてないからあの世行ったら怖いねん」
「あの世なあ」
 僕は高校時代、老けた子供で、線香臭い本ばかり読みあさっていたことを思い出す。死後の世界とか霊魂とかに憧れていたようだ。般若心経も暗記して覚えたことがある。アンコの知識を身に付けることによって自分にパワーが付くのではないかと思ったのだろう。信仰心とかはあまり関係がない。ただの興味本位だ。
 もし現実生活の上で霊の占める力が強いのなら、それを使わないと、と考えた。高校生が真面目に取り組むようなテーマではない。拝んだり念じたりしただけで運が開けるのなら、これほどずぼらなやり方はない。
 僕が高校のとき、道を誤って漫画家へ進路を取ったのは、そのとき食べたアンコの甘さのせいである。アンコをなめると現実が吹っ飛んでしまう。
「輪廻転生する言うやろ」
「仏教やら」
「あれ本当か? 前世があって、その因果引きずって生きなあかんゆうのん」
「昔より今の方が人口多いやろ。子供がどんどん産まれてきたらアンコの在庫がなくなるやん」
「せやなあ」
「せやから、人間も動物も化学反応的な生物体やねん。最近そう思うようになったなあ」
「アンコは?」
「アンコ椿は恋の花や」
「そやなあ」
「肉体の中にアンコが入っていることは否定できひんなあ」
「そやろ。あたし出したもん」
「最近の心霊科学の本、読んでないから何処まで解明しているか分からへんけど、やっぱりそれほど進んでないんと違うかなあ。そこらの念仏唱えて灯明に明かり灯してるオバンらの知恵と変わらんように思うで。何か重大発見があったら聞こえてくるはずやし、死後の世界と通信してるねんやったらテレビに心霊チャンネルぐらい付いたのが出回るはずやからな」
「人間の運命も決まってるゆうやん」
「占いか?」
「そう」
「あれは科学的やろ」
「あたしもそう思う」
「万有引力の法則があるねんから星同士何か影響あるしな。だいたい月経が月の引力で起こるねんから人間にも影響する道理は分かるわ」
「川崎さん占い信じる?」
「手間がかかるやろ」
「あたし占い中毒になってしもてるねん。何するにしても占うてからやないと動けん体になってしもうてん」
「不幸やなあ」
 アキちゃんの占いは当たるので友達の間でもてはやされている。アキちゃんは何でも信じやすい性格で、しかも、本気で占うし、少なくとも占っているときは純粋にそれに集中するので、本当によく当たる。
「川崎さん、今夜朝まで起きてるのん?」
「漫画描かなあかんからな」
「えらいなあ」
「その代わり明日起きるの夕方になるわ」
「川崎さんもアンコ出したら」
 僕は急におまんじゅうが食べたくなってしまった。
 
   了

 1988年1月 COMICジャングル創刊号(いきなり社)より



 





2015年7月28日

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