小説 川崎サイト

 

直販所の男


 トマト畑となすび畑が広がっている。それほど広い畑ではないが、周囲は住宅地となったため、広い世界のように見える。いわゆる田園風景だが、もう箱庭程度のものだろうか。
 吉岡は散歩の戻り道、その近くを通るとき遠目で見ている。畑の前に道があり、さらに畑を三角に分割するようにあぜ道がある。そこに潅漑用水が流れている。この斜めに横切る川を見て、子供の頃を思い出した。そのあぜ道で転倒し、自転車のどこかをぶつけたのか、チェーンが外れてしまった。その三角畑、当時はなすびやトマトではなく、池のようになっていた。レンコンでも栽培していたのだろうか。水を張っているが、雑草に覆われ、水草が好き放題に延びていた。そこに男がおり、金平糖のようにとがった水草を抜いていた。
 吉岡がガチャガチャとチェーンをいじっているのを見かねてか、直してくれた。吉岡は礼を言うが、知らぬ顔で、男は草むしりに戻った。凶器に近い鎌も持って。この鎌でチェーンをひっかけ、簡単に直してくれたのだ。
 吉岡はそこまで思いだした。これを今でも覚えている。
 その三角畑の向こうの大きな道沿いに直販所があることは知っていた。掘っ立て小屋だ。当然トマトとなすびを売っている。
 しかし実際に売られているところを見たことがない。いつも売り物があるとかは限らないし、売る時間帯もあるのだろう。一日中売っているわけではない。
 その日、吉岡は初めて、売っている光景を遠目で見た。店番はいるが客はいない。
 吉岡は若い頃、この町を出て、今戻って来ている。悠々自適に暮らしているのだが、ふるさととはいえ、長く留守にしていた。戻ってから二年しか立っていない。
 吉岡は何の気なしに直販所に立ち寄った。トマトが欲しかったのかどうかは不明だ。それほど好きではない。
 それよりも気になったのは、売っている男だ。そこに「もしかして」がある。
 持ち主の農家の誰かが池のように荒れてしまった三角畑の草むしりをしていたはずだ。
 結果的には、子供の頃自転車を直してくれたあの男だった。鎌を持った無愛想な青年だった。この男、その後すぐに家を出て、都会へ出たらしい。そして、吉岡と同じように戻って来ているのだ。
 三角畑や、その近くの田畑はすべて、この男が引き継いだらしい。既に老人になっているが、顔は今でも厳しい。
 男は荒れたレンコン畑を元に戻すのがいやで、農家を飛び出したようだ。これは冗談かもしれない。継ぎたくなかったのだろう。
 自転車のことを聞くと、忘れているようだ。当然少年時代の吉岡など覚えてはいない。しかし、吉岡は親切なこの青年をしっかりと今でも覚えていたのだ。
 吉岡はひびの入ったトマトを一つ買った。
 老いた男は、相変わらず不愛想で、礼も返さなかった。
 
   了
   



2015年8月15日

小説 川崎サイト