小説 川崎サイト

 

空神社


 忘れ去られたような神社がある。山の中にあるわけではなく、市街地だ。今風な建物が建ち並び、人跡未踏の地ではない。尤もそんな人が立ち寄らないようなところに神社があるのも珍しいが。
 だが、市街地でも人が入れない場所がある。実際には行き来できるし、人もそこにいる。その神社は工場の敷地内にあった。一般の人は入れない。こういう神社にはお稲荷さんがよく祭られている。しかしその神社、工場ができる前からあったらしい。その前はただの田圃か淋しい場所だったようで、農家からも離れている。当然、今はそんな農家はない。田圃の一枚さえ残っていない。家庭菜園の畑さえない。
 その工場が取り壊され、ションピングモールになった。しかし神社はそのまま残った。
 神社はショッピングモールの母屋とは別の場所、新しくできた公園内の一角に残った。敷地内の公園とはいえ、一寸した植物園だ。そして一般の人も、参拝できるようになった。といっても馴染みさんが付いていた神社ではない。
 高村はこの神社の存在を知っていた。工場時代、電車内から見えたのだ。これは最近のことで、高架になったため、上からの見晴らしがよくなり、工場がよく見える。そこに鳥居と社を見た。木は生えていない。これはきっと会社の神社でお稲荷さんに決まっていると思ったのだが、確かめたわけではない。当然工場の人に聞くようなことでもない。
 それでも高村は明治時代に全国一斉に作られたという地図で調べた。当時は田圃や藪があったようだ。これは近くに山がないため、田圃で使う竹などを植えていたのだろうか。そのため共有地だっに違いない。その地図には神社らしきものはない。だから、村の神社ではないようだ。できたとすれば明治以降。
 お稲荷さんなら自分の家の庭などでも祭ることができる。今でもよく見かける。稲荷信仰だ。
 ショッピングモールの工事が終わり、その敷地を囲んでいたフェンスが取れたとき、高村は一番で、その神社へ走った。その日はショッピングモールのオープン日だった。
 他の人は母屋である建物へ殺到したが、高村だけは横へ抜け、神社を目指した。
 鳥居は朱色に塗り替えられ、社殿は電車内から見たものと同じ。その周囲を灌木で囲んでいる。それ以外何も手を加えていない。そして神社名などの表示もない。
 すぐに分かったのだが、狐がいない。普通の狛犬だ。お稲荷さんではなかったのだ。
 神社名や由来を示すパネルなどもない。高橋は社殿に近付き、格子から中を覗くが、何もない。それほど古いものではないが、工場時代から誰かが手入れしていたのか、意外と綺麗だ。中には入れるが、さすがに戸は閉まっている。社殿の横に回ると、小さな戸がある。ここから入るのだろう。しかし南京錠がかかっている。
 高村は非常に気になった。
 がらんと音がした。驚いて、社殿の表側に戻ると、お婆さんが紐を振っていた。そして柏手。ただの買い物客だろう。
「この神社は……」と聞いてみたが、当然知らないようだ。神社があるので、参っただけらしい。
 同類というのがいる。高村はその場でスマホで検索すると、同類がいた。そして調べ上げていたのだ。
 それによると、何が祭られているのか、誰も知らないらしい。ただの箱だと。
 社殿はただの箱で、それに狛犬と鳥居があるだけ。箱の中身は空で、何かを祭ろうとして、そのまま中断したらしい。
 空箱なのだ。工場時代も、何かを祭ろうかと考えたのかどうかは分からないが、結局空のままだったようだ。
 流石にショッピングモールの人も、工場主から聞いたのか、空であることを知り、そのまま引き継いだ。そして、数ヶ月後、空神社というパネルが立った。また社殿や鳥居にも空神社と書かれた額が上がった。
 当然、今も空のままだ。このほうが霊験がありそうだ。
 
   了


   


2015年8月17日

小説 川崎サイト