小説 川崎サイト

 

雨乞い


 晴れているのだが、遠くに黒い雲が出ている。かなり面積が広い、その下はモヤ。きっと雨が降っているのだろう。俄雨、太陽は夏の日差しを伸している。当然こちら側は真っ青な空で、雲も白い。
「今、雨乞いをすれば効きますが、もう遅いですなあ」
 同じように空を見ていた老人が田辺に話しかける。どちらも立ち止まるほど暇なのか。例えば巨大な入道雲が湧いていても、立ち止まってまでは見ないだろう。これが見たことのない飛行物体が飛んでいるとか、浮かんでいるとかになると、立ち止まる可能性も高い。飛行機なら無視だ。
 田辺が立ち止まったのは、くしゃみをするためだ。肋骨を痛めており、咳をすると痛い。くしゃみの方が衝撃が強いためか、激痛が走ることがある。椅子に背中を当てていると、衝撃が上手く逃げないのか、痛い。それで自立した状態でくしゃみをした方が上手く吸収してくれる。そのため、余計な力が体に加わりにくい立ち止まった状態で、くしゃみをしたのだ。幸い痛みは走らなかった。たとえ走ったとしても、瞬間的なことだが。
 老人は偶然その場所で息が切れたので、止まっただけ。
「雨乞いはねえ。雨が降りそうなときにやるんですよ」
「そうなんですか」
「あんな雨雲が見えている状態じゃ、もう遅い」
「しかし、あれは俄雨でしょ。ずっと降り続けるような雨じゃないと思いますが」
「そうです。雨乞いは水不足で困っているからやるのです。日照り続きで干ばつのときにね。しかし、そのタイミングが難しい。だから、雨乞いの名人は、翌日に降るように持っていきたいのです。これは理想です。まあ、一週間以内でいいでしょ。雨が半月ほど降らないときは、もうそろそろでしょ。だから、ぎりぎりまで雨乞いはやらない。早すぎると、なかなか降らないですからね」
「じゃ、雨乞いはやってもやらなくても同じですか」
 田辺は一寸おかしかったので、笑ってしまったのだが、肋骨が反応した。腹から笑うとそうなる。笑いは痛みですぐに消えた。
 雨乞いは地元の神社ではやりません。これは信用を落とすからです。だから、それ専門の人がいます。それを呼ぶのです。この人達は祈祷師ですが、かなり気象に強い。だから、依頼を受けてもすぐには行かない。雨が降りそうになるまでね」
「しかし、今の天気予報でも当たらないのですから、雨が降る日を当てるのは無理でしょ」
「当然です。しかし、ネットワークがありましてねえ」
「インターネットですか」
「いやいや、俄雨は無理ですが、長い目に降る雨は移動しています。西から東とか、南から北へとか。だから、雨が通る場所からの情報を得るわけです。それで、そこが降っていれば、近いぞということで、やり始めます。これは翌日か翌々日後、その雨雲が来れば理想的ですがね」
「それでも無理なときがあるでしょ」
「はいはい、それは誠意です」
「はあ」
「雨乞いをしたと言うことでいいのです」
「どういうことですか」
「水不足なのに、何もしないより、その土地の首長が雨乞いを頼んだだけでも、いいのですよ。これはお金がかかります。雨乞いの一行を接待しないといけませんからね。村にも神社があり、神主もいますが、先ほど言いましたように、失敗すると、問題です。だから外部の者にやらせるのです。雨乞い師は終われば、結果など見ないでさっと立ち去りますからね。文句が出ても聞こえない場所に、もう行っている。まあ、雨はそのうち降りますよ。だから、どの程度待てばいいかの問題なんです」
「詳しいですねえ」
「私の先祖は雨乞い師でした。そんな言葉はありませんが、術師と呼ばれていましたねえ」
「そうだったのですか」
「だから、先祖伝来の術と言いますか、観察法を知っています。それには毎日空を見ていないと、合図が分からない。雲の形や厚さ、今なら高さですね。それと青空の色。そう言ったものが伝わっています」
「じゃ、今見えているあの黒い雲は」
「あれは、昔から言われている狐の嫁入りですよ。ざっと降るが、大した量じゃない、水不足はあれでは解決されません。それに急に湧く雲でしてねえ。あれは信用ならんとか」
「せっかく雨が降ったのに、お湿り程度、と言うやつですね」
「欲しいのはまとまった雨でしょうからねえ。それに広い範囲で降らないと、川に水も集まらない」
「勉強になります」
「あの雲は、あそこで終わるでしょう、こちらへは来ません」
 と、言った瞬間、石でも落ちてきたような大きな音がして、大粒の雨が降り出した。
 老人も田辺も急いで、屋根のあるところへ移動したのだが、田辺は途中で悲鳴を上げながら肋骨さすった。走ったのがいけなかったようだ。
 
   了

 


2015年8月26日

小説 川崎サイト