小説 川崎サイト

 

生体反応


 行きつけの場所で、誰かと出会い、ちょと話をする。というようなことは富田はなくなった。一日中家に居るわけではなく、よく出掛けるのだが、それは散歩や買い物だ。コンビニやスーパー、そして喫茶店、スポーツセンターのある公園、たまに昔からあるような市場や、その奥にある神社やお寺、そして自然歩道になっているような散歩道。人とは多く合っているのだが、店や施設の人達だ。
 家を出たとき隣近所を通過する。殆どが顔見知りだが、挨拶程度、立ち止まって話し込むようなことはない。見知った町内の人達だが、それ以上の関係はない。
 ところが、その日は行きつけの喫茶店で、田上という旧友を見付けた。昔の友達ではなく、昔からの友達だ。待ち合わせてまで合うようなことは最近ない。しかし近所に住んでいるので、見かければ声はかけるし、少しは話す。挨拶で済ませることもあるが、それは余程急いでいるときだ。
 田上がその喫茶店にたまに来ているのは知っていたが、時間帯が違うのか、滅多に遭遇しない。
 田上が一人でコーヒーを飲んでいるので、そのテーブルへ富田は同席した。そんな遠慮はいらない仲だ。
 灰皿を見ると吸い殻が一つだけ。これは来て間がないのだろう。
「ひさしぶり」富田が切り出す。
「ああ」
「最近見かけないけど」
「ああ、暑かったからねえ。やっと涼しくなり始めたので、ここまで来たんだ。それで休憩だよ」
 田上の家からは自転車でないと来れない距離だ。この喫茶店は郊外にあるが、大きな道沿いのため、結構人の出入りが激しい。富田は近所の個人喫茶へは行かない。大きなチェーン店の方が気楽なためだ。個人喫茶で常連になれば特典がある。海釣りの好きなマスターから鮮魚を貰うとかだ。その代わり旅行へ行けば、土産物を買わないといけない。ただし旅行へ行ったことを黙っていれば別だ。そして一度行かなくなると、二度と入れなくなる。
 さて、田上だが、見た感じ元気そうなので、久しぶりに富田は雑談を楽しんだ。
 その中で、一種の風景論が出た。二人とも写真をやっていたことがある。当然趣味だ。よく二人で写しに行った。だから、風景論というような高尚は言葉が出たのだ。
 富田はいつも通る町並みの風景を見ていると、その変化が楽しめることを述べた。田上は黙って聞いている。
「この季節になると、もう柿の実が成っているんだ。まだ青いがね。最初気付いたのは落ちていたからだ。まだ青いのに落ちている。理由は分からないけど、落ちていたんだ。それが柿だとは最初気付かなかったよ。夏だからね。柿は秋だろ。しかも柿色でないと柿だと気付かない。柿の木もそうだよ。目には入っていても柿の木だという意識はない。これは桜もそうなんだ。咲いているときは桜を意識するけど、葉っぱだけになると、桜の木が消えたようになる。合図、記号としては弱いんだ。でもね、ビワの木は分かるんだ。分かりやすい。実も分かりやすいけど、葉っぱがね。あの葉っぱでビワだと分かる。芋虫のように長細かったりする。これは葉が地面に落ちたとき、モスラでもいるのかと思うほどだよ」
 田上は黙って聞いている。
「だから、何の変哲もない町中を移動していても、季節の変化が楽しめる。具体的にね。今は赤とんぼだよ。あれが飛び出したんだ。今まで何処にいたんだろうねえ。蚊と同じで、ヤゴのまま川にいたんだろうか」
 田上は二本目の煙草に火を点けた。これで幽霊ではないことが分かる。
「田上君はどう。そういう変化を見てる」
 田上は首を振る。
「自転車から変な音がする。カラカラとね。これはねえ、チェーンが緩んでいるんだよ。こういう変化も、月日を感じるねえ。一年で結構伸びるんだよ。最近の自転車はよくなっているのか、ブレーキの効きは変わらない。キーキーて音もしないしね。これはブレーキの種類が違うんだ。高い目の自転車を買ったおかげだ。長持ちするし、錆びる部品が少ない。でもチェーンは伸びるねえ」
 田上は頷いている。
 富田はまるで独り言を言っているようなものだ。それで心配になったわけではないが、周囲の客を見る。すると、別に不審そうにこちらを見ていない。当然だろう。目の前に相手がいるのだから。
「田上君」
 そう呼んで田上の目を見る。
 田上は驚いたように、目を少し大きく開けた。
「聞いてる」
 田上は頷く。
「じゃ、元気でね。一寸急ぎで寄るところがあるから。この先で靴屋の閉店セールをやってるんだ。どうせ嘘だろけど」
 田上は頷く。
 富田は気色悪くなって、すぐに喫茶店を出た。
 田上がいつものような反応をしなかったのは、深い事情があったわけではなく、夏の終わりとはいえ、まだ暑かったため、バテていたようだ。それで口を利くのも大義で、それが許される友人なので、反応しなかっただけのようだ。
 
   了




2015年8月28日

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