小説 川崎サイト

 

才能論


 言葉巧みな人がいる。これは生まれつきが多い。言葉の使い方が上手い。同じことを別の言い方でもできる。それよりも言葉を使うときの、その場の使い方を心得ている。
「本、読んでます?」
「読んでません」
「世界が広くなりますよ」
「映画はよく見てますが」
「あ、そう」
「映画の方が分かりやすいのです。小説で何か書いてあっても、どういうものか、見当が付かないことがあるけど、映画なら説明なしで分かる」
「風景とか、状況ですね」
「そうです。小説だと、主人公が何処にいて、相手はどのあたりにいるのかとか、そういう立ち位置や表情が見えないので」
「だから、それを言葉で説明していくのですよ。そのときの説明の仕方が参考になります」
「参考以前に、何処にいるのかがよく分かりません」
「想像が付くでしょ」
「はい」
「例えば自分で体験したことなどを相手に話すときに役立ちます。そういう風に説明していくのかと」
「映画より、小説の方が実用的なのですね」
「だから、より多く本を読んでいる人は、説明のバリエーションも広い」
「なるほど、しかし私の親友で、本など殆ど読んでいない人で、映画もあまり見ない人なんですが、説明が上手いですよ」
「あ、そう」
「人の話をよく聞く人で、それで学習したんじゃないですか」
「ありますねえ。昔の人で、小学校しか出ていないのに、言葉が達者な人」
「そうでしょ。だから、小説も映画もあまり関係がないと思いますよ。言葉を知っていても使い方でしょ」
「その上、多くの読書を積み重ねれば、さらに」
「でも、本ばかり読んでいる友人もいますが、喋るとき、台本を読んでいるような、堅苦しい言葉で、そのままコピーしたような言葉遣いです」
「そう否定されると、先へ進めません」
「それは失礼しました」
「つまり、あなたは最初から持っている素質で決まると仰りたいのですね」
「それは脳の回路の問題じゃないですか。最初からそれがあるので、より磨きがかかって、回路が発達したのだと」
「それは言いっこなしなんです」
「なしですか」
「そうです。教育しても同じだということになりますから。やはり後天的なことが大事で、そこを磨くのが学習です。そうでないと先生の意味がない。教えても教えなくても同じだとすると、楽しみもない」
「ああ、そっちの問題がありましたねえ」
「これは才能論でして。危険なんです」
「どうしてですか」
「生まれが違うということになります」
「それは違うでしょ」
「そこで、最初から差が出てしまっては……ねえ」
「どういうことですか」
「人格の否定になります。あなたは生まれつきだめだと」
「そうなんですか、言葉が下手な人と上手い人の差はあまりないと思いますよ。それにどちらも欠点になりますし、長所にもなります。さらに、言葉遣いだけで人格などは決まらないでしょ。別の才能や素質に恵まれているかもしれませんし、たとえ平凡でも、それが非常に貴重な面もあるはずです。平凡だから助かったとか、平凡な人だから、普通の判断をしたとか」
「そこまで行くと、別の話になります」
「そうでしょ」
「ところであなたは、そういう意見というか発想は何処から得られました」
「え」
「だから、何処で学びました」
「さあ、覚えていませんが、おそらく体験からでしょ」
「本や映画は」
「雑音かもしれません」
「それは、また厳しい」
「よく言うじゃありませんか」
「え、何の話ですか」
「だから、それは本やドラマの中の話って」
「話が進まないようなので、このあたりでやめておきます」
「だから、その教材は買わないって、最初に言ったでしょ。粘りすぎですよ、あなた。他を当たって下さいな」
「はい、そうします」
 
   了




2015年8月31日

小説 川崎サイト