小説 川崎サイト

 

箸の話


「最近如何お過ごしですか」
 様子伺いに来た弟子が、いつものように老師に聞く。
「最近ねえ」
「何か変わったこととか、出来事とか」
「そうだねえ」
「お役に立てることなら、やりますが」
「やりますか」
「はい」
「そうだねえ、最近変わったこともないねえ。君に話すほどのことではないし」
「何かありましたか」
「ああ」
「困り事ですね」
「言うほどのことじゃない」
「仰って下さい」
「箸が」
「箸墓古墳ですか。やはり卑弥呼の墓だったとか」
「一本足りない」
「その一本で証明されるとか」
「だから、箸が一本足りない。ご飯を食べるときの塗り箸だよ」
「ああ」
「塗り箸を一本なくすとどうなる」
「別の箸で」
「割り箸しかない。あれはよくないらしいので、普通の箸に代えた。塗り箸か、それとも最初からそんな色の樹脂製かは知らないが、その一本がなくなった。消えたわけじゃない。そのあたりにあるはずだ。探すのが面倒なので、放置している。あれは不便だ。割り箸なら相棒に困らない」
「一度割った割り箸をまた使っておられるのですか」
「もったいないからね。それに割り箸も数に限りがある。弁当などを買ったとき付いてくるだろ。あれを使っておる。しかし洗い桶に浸していたんだが、先が黒くなるんだ。あれは危険だよ。それで、割り箸以外の箸に代えたんだ。普通に安い箸にね」
「その普通の樹脂製の箸も危ないんじゃないですか。その塗料なんかが」
「それは後の研究として、それよりも相棒がなくなると不便だ。塗り箸の相棒に割り箸を使うと不細工だろう。誰も見ていなくても、やはり妙だ。これでも挟めるがね。しかし、これは文化が許るさん。実用上何ともないが、やはりおかしい。それなら使い古しの割り箸か、またはまだ封を切っていない割れていない割り箸で食べる方が上等だ」
「塗り箸を複数買われては」
「そうなんだよ。そっくり同じ箸をね。それを一ダースほど買えば、相棒はすぐに見付かる」
「そうですよ」
「箸にも右と左の違いがあるのかね」
「あると思いますよ。柄などが入っているタイプでは、一膳揃えたとき、絵になるような」
「そうだね。だったら無地が好ましい」
「それを買われたのですか」
「まだだ、箸買いだけで、わざわざ出掛けられんだろ」
「じゃ、私が買って参りましょうか」
「いやいや、君を労するほどのことではない。ただの箸だ。割り箸でもいい程度で、箸がなくて困っているわけじゃない」
「あ、はい」
「この程度だ」
「え」
「だから、最近変わったことを色々と語りたいのだが、この程度のネタしかない。だから、わざわざ言うようなことではなかった」
「そうですね」
 
   了




2015年9月1日

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