小説 川崎サイト

 

黒崎の軟膏


「黒崎の岬を知ってますか」
「いきなり言われても、襟裳岬とか室戸岬なら知ってますが、黒崎の岬は知りません」
「私も長い間知らなかったのですが」
「岬に興味がおありですか」
「特にないです。灯台なんかがある程度でしょ。その灯台もあまり興味はありませんが、岬巡りのバスには乗ったことがあります。別に岬に興味があったわけではなく、旅行のオプションであったので、皆で乗った程度です」
「じゃ、どうして、岬のお話しを」
「岬の先端ではなく、その近くにある村です」
「あ、はい」
「細い岬でして、それにそんなに飛び出していない。また、船も寄りつけないような場所ですし、切り立った崖が続き、岬そのものが山です。だから、村もないと思われていたのですが、あったのです」
「はい」
「海を隔てて大陸があります。この岬は目立つので、目標になりやすかったのかもしれませんが、それなら、他にももっと目立つ山塊があります」
「船が寄りつけないのでしょ」
「ところが、その岬の途中に一寸した入り江がありまして、僅かながら足場があります。鬼の腰掛けのようなね。その背後は川です。だから取っつきやすい場所です。水もあります。だから、ここに村ができたのでしょうが、道がありません」
「え」
「だから、岬の先まで行く道がそもそもないのです。山の尾根伝いに行けないわけじゃないでしょうが、これは登山ですよ。また、岬の先端に用はない。灯台などなかった時代ですからね。この岬の形だけでも十分目印になる。昼間に限られますがね」
「どうしてそこに村が」
「ここに世捨て人のような僧侶が寺を建てたのです。非常に狭い場所ですがね」
「寺が建つ前は」
「大陸から来た人達が一時的に暮らしていました。比較的安全だったのでしょ」
「船着き場が鬼の腰掛け程度なんでしょ」
「そうです。その腰掛けの岩礁の奥に細い谷がありましてね。川が流れています。ここは山の隙間のような場所でして、そこを開けて村にしていたわけです。そして、渡ってきた人達は、そこから内陸部へ向かって行ったようです。その遺跡が残っています。寺が建ったのは、そのあとの話で、もう誰もいなくなっていた時代です。隠れ里ではなく、隠し入り江のような場所です。農村にも漁村にもならなかったのは、狭すぎるためと、道がないためでしょ。船で行き来はできますが、これはもう島と変わらない」
「その村がどうかしましたか」
「名の知れた村となったのはお寺ができてからです。ここの住職、これは隠居坊主でしょ。こんなところに寺を建てても意味はない。需要がない。あるとすれば、人里離れた場所で、静かに修行をする程度。しかし、この坊さん、最初はそのつもりだったが、我慢できなくなった。それはデキモノが痒いためだと資料にはあります」
「デキモノ」
「昔は、デキモノで死ぬことがあったのです」
「抗生物質など、なかったですからね」
「それで、その坊さんが薬草に懲り出した。自分のデキモノ、これは皮膚病のようなものかもしれません。それで軟膏を作った。それを貝殻に詰めて、保存していた。これが村の始まりです」
「薬が」
「その薬を作る村になったのです」
「今もありますか」
「ありません」
「じゃ、今は」
「さあ、それがどうなったのかは、何処にも記されていません。地図で見ると、何もない場所に戻ってます」
「でも、掘り起こせば、お寺の跡とか、薬を作っていた家の跡などが出てくるでしょ」
「そうですねえ。しかし、発掘してもあまり価値はないかと。寺も由緒のある寺ではないし、その坊さんも名を残した名僧ではありません」
「はい」
「その貝殻に入った軟膏、売れたのでしょうか」
「その行商が使っていた効能書きが残っています」
「ガマの油のような軟膏では」
「それに近いです。しかし、その坊さん、それで治ったとか」
「じゃ、効能はあったのですね」
「治る時期に来ていたのかもしれませんねえ」
「あ、はい」
 
   了



2015年9月2日

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