小説 川崎サイト

 

魔物が湧き出す路地


 これは有り得ない話なのだが、個人の中では有り得るのだろう。
 町内を練り走っている自転車散歩老人の話だ。その老人が有り得ないのではなく、有り得ないものを見ている。有り得ないものなので、当然見えるわけがない。しかし、個人の中では見えているのだ。それを証明するものは何もない。本人の語り以外には。
 魔物が湧き出す場所があるらしい。その場所は路地の奥。これは毎日のように町内を走っていると分かるらしいが、新聞配達や郵便配達員も同じ条件だが、そんな証言はない。それ以前に魔物を見たとかの話そのものが有り得ないためだ。違いがあるとすれば、自転車散歩老人は意味なく走っている。散歩なので特に目的や用事がない。途中で引き返してもいいし、気の向くままに道や方角を変えてもいい。仕事であるか、そうでないかの違いがある。あとは年を取っているだけだが、平日の昼間など、多くの年寄りが自転車で走っているため、これも特殊な例ではない。
 その老人が言うには、魔物が湧き出しやすい細い枝道や路地や、隙間があるらしい。老人は毎回そのポイント地点を確認しながら走っているとか。湧いている時間帯は特になく、昼夜に関係なく湧くときは涌くらしい。
 何処から出てくるのかと思い、かなり奥まで見に行ったことがあるようだ。路地の一番奥に使われていない井戸がある。昔の長屋の共同井戸だろうか。当然蓋があり、中は覗けない。
 また、通路の行き止まりに祠があり、そこだけが少し小高い。地蔵盆などでよくある小さな祠だ。中を覗くと顔の形がもう分からなくなった石仏が派手な前掛けを付けて鎮座しているだけ。しかし、ここから湧いて出ることは確かなようで、発生源は、ここらしい。
 共通して言えることは、道が細いこと。そして突き当たりに何かそれらしきものがあること。
 魔物はその奥から湧き出て、狭い道を通る。そのまま進めば広い目の一般の道に出る。この自転車散歩老人は、その一般の道から、それを目撃している。しかし、一般道に出る辺りで、殆どの魔物は消えるらしい。たまに一般道に出て、かなり長い距離を歩いている姿も見たことがあるとか。これも、やがては消える。
 魔物の姿を聞いてみると、背丈は大人ほどあるが、それほど大きくない。着ているものは様々で、今風なものもあれば、着物もある。中には半裸もいる。
 顔は人に近く、一見して普通の通行人のようにも見える。雨も降らず、陽射しもないのに傘を差している魔物もいるらしい。顔や身体の特徴に魔物らしさはない。紛らわしい魔物だ。
 当然、これを目撃したのは、その老人一人。
 この老人の精神状態は悪くはなく、普通に会話ができるし、仕草も普通だ。魔物を見たということ以外では、極めてノーマルな人。
 また、この老人、昔から有り得ないものが見えるとかの前歴もない。
 この事象に関しての真相談はなく、放ったらかしのままだ。
 

   了

 



2015年9月10日

小説 川崎サイト