小説 川崎サイト

 

あってはならぬこと


「あってはならぬことじゃ」
 絞り出すような声だが、高い。眉間の皺、鋭い眼光。その瞳の奥には人生の経験が奥深く沈んでいる。
「出しましたねえ」
「ああ、出した」
 久しぶりにこの老人「あってはならぬことじゃ」と得意のフレーズを口にした。たったそれだけの言葉だが、疲れたようだ。普段とは違う声で、違う発声法になるためか。
「少し絞りすぎたようじゃ」
「声をですか」
「しわがれ声にしたかったのじゃがな」
 以前もこの老人「あってはならぬことじゃ」と言ってから、しばらく寝込んだ。
 あってはならないことなので、始終起こることではない。それなら有り得ることだ。だから有り得ないことが起こったのだろう。前回から三年目のことだ。
 三年前のその前は四年前。平均すると四年に一度。オリンピックと同じ。だからよくあることなのかもしれない。
 村は山に囲まれている。その中で一番近い三角の山があり、ここだけは入らずの山となっている。この山だけが色目が違う。植林ではなく、原生林のままのためだ。枯れるべき木は枯れ、伸びる木は枝を伸ばす。下草もそうだ。ここではススキや笹が多い。
 要するに四年に一度、この入らずの山に人が入り込むことがある。村人は一切立ち入らない。これは子供の頃から言い聞かされているためだ。三角山の頂上付近に石組みの祠がある。それは何百年も前のもので、そこに神様を祭った後、誰も入れないようになっている。何等かの封印かもしれない。
 あってはならないこととは、そのタブーを犯したハイカーが登ったためだ。
 そして、下山はなく、姿を消している。
 山に入る行為はあってはならない行為だが、行方が分からなくなったのだから、有り得た話だ。つまり、神罰が当たったのだ。これは有り得ると言った方がいい。
 もし普通に下りてきたのなら、有り得ない話になるかもしれない。神山ではなかったのだ。普通の山と同じになる。やはり、ここは何か祟りとか災いとかがハイカーに起こった方が好ましい。その方が神山らしい。
 小さな山なので遭難は有り得ない。たとえそうだったとしても助けにいけない。入らずの山のためだ。タブーを破ってしまう。
「白骨がまた増えるかもしれぬ」
 四日目、戻らないハイカーに対し、老人は、またしわがれ声で語る。
 今回は下山した形跡がない。そのため、御山には白骨死体があるとみている。
 しかし遭難届けはなく、家族も探しに来ないので、戻っているのだろう。
 何故なら、三角山の登り道は一つだが、道などなくても山には出入りできる。
 また、三角山の登り口から出て来た例もある。これはいつの間にか三角山に迷い込んだハイカーがいたのだろう。
 村人には入らずの山だが、余所者にはそのタブーはない。
 入山はタブーだが、下山はタブーではないかもしれないが、そういう決めごとはない。
 入山したハイカーが、もし白骨死体でも見たのなら、届けるだろう。
 それから数ヶ月後、その年、また人が入った。今度は四人グループで、原生林見学に来た人達だった。
「あってはならぬことじゃ」
 老人は、とびっきり絞り込んだ高い声を出した。四人分のためだろう。
 このグループは山頂近くの石の祠も見ている。村人の誰一人見ていないのに。
「あってはならぬことじゃ」
 
   了

 



2015年9月11日

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