小説 川崎サイト

 

雨の日の独り客


 雨が降り続いている。秋の長雨だ。ずっと降り続いているわけではなく、止むことも、晴れることもある。雨も休憩する。始終降っているわけではない。
 朝の喫茶店にいつも来ている年寄りグループが今朝はいない。このグループは日曜だけ休む。喫茶店は年中無休だが、日曜日には集まらないらしい。
 今日は平日。そのため集まりがない日ではない。ところが今朝は雨脚が少し強い。そのためか雨の日は集まりが悪い。当然雨の日の喫茶店は客も少ない。雨で足止めされているわけではないが、雨の影響は強い。
 この年寄りグループの一人が「雨には勝てん」と言っていた。雨と勝負しても負けるというか、気が向かないので、気が負けるのだろう。しかし、大雨なら別だが、通勤通学、または用事があれば雨でも出掛けるだろう。
 その喫茶店には常連が他にも多い。多少の雨でも来るのは独り客の老人で、年寄りグループの平均年齢よりも高い。グループではなく単独なので来やすいのだろうか。
 年寄りグループは雨が降っていると、集まりが悪く、下手をすると誰もいないときがある。それに必ず来ているリーダーと二人っきりになるのもいやだ。そういう事情が働いて、欠席するのかもしれない。集まり具合が読めないためだろうか。また、誰かいるはずなのに誰もいないとなると、やることがない。集まりではなくなる。
 しかし、独り客の年寄りにはそれがない。非常にマイペースだ。雨の日は、このお一人様部隊が目立つ。雨でも来ている。来ても用事はないのだが、来るのが用事なのだ。
 その一人は本当に何もしていない。コーヒーを飲み、煙草を吸うだけで、あとはじっとしている。これは、この喫茶店まで来るのが目的で、もう用事は果たしたのだろう。足か腰が悪いのか、相撲取りが四股を踏むように歩いている。
 店内は硝子張りのため、外がよく見える。それを見ている。ただ何かを観察していると言うより、別のことを考えたり、思ったりしているのだろう。そういう年寄りが何人か来ている。一応本を開いている人もいるが、違う方角を見ている。
 だから、喫茶店で休憩しているようなものだが、喫茶店内での目的はない。しいて言えば休憩が目的だろう。徒歩でも自転車でも車でも、往復できるだけの健康状態であることが大事で、それを確認しているようにも見える。
 一方、グループの年寄り達は、健康状態について大声で話し合っている。足が痛い、目が悪い。腹の具合が最近おかしいとか。
 しかし、独り客は、そういう共有はない。一人なので、話す相手がいないため、当然だろう。
 しかし、雨が降っても、この独り客は来ている。厳しい条件でも乗り越えて来ているのだ。雨程度では大したハンディーではないのだろうが。
 その独り客の年寄り達、孤独かといえばそうでもなさそうだ。何故なら、その存在を他の客や店の人、またそこまでの道中での人々に見られているからだ。
 これはコミュニケーションではない。しかし、最低限の、そして一番省エネの共有かもしれない。決してそれは同じ情報を共有しているとかではなく、最低限の存在性しか示し合っていないが。
 元気で賑やかな年寄りグループよりも、雨にも負けず、来ている独り客の老人の方が逆に元気なのではないかと思える。身体も気力も。
 
   了

 
 

   


2015年9月21日

小説 川崎サイト