小説 川崎サイト

 

苦肉の作画


 この絵の師匠、いつも苦しそうにしている。苦虫をかみつぶしたような。しかし師匠は虫を食べる趣味はない。渋柿を食べたような顔では、少し滑稽だ。
 その弟子、師匠に渋柿を食べさせたいと思ったわけではないが、師匠宅への道で柿を一つもいだ。丁度階段を上がったところに柿の木が下にあり、枝に手が届いたためだ。この柿が渋柿であるかどうかは分からない。
 絵師の庭にしては荒れており、ススキが縄張りを広げたのか、背も高く、九尾の狐が箒のような尻尾を立てているように見える。
「苦しいときほど良い絵が画ける」
「そうなのですか」
 最近は絵筆を持っての指導より、会話の方が多い。ある程度基本をマスターしたためだろう。この師匠の絵には種絵があり、その肉筆本が何冊もある。画集のようなものだが、先代から受け継いだもので、その絵をお手本にして画き覚える。
「絵は苦しいときに限る。しかし、これは苦しい。調子の良いときの絵はつまらん。そのときはいいが、後で見ると、凡作じゃ」
「それは苦労して画いた絵に愛着が湧くだけじゃないのですか」
「だけ、か」
「それだけじゃないでしょうが、思いも深いと」
「そうではなく、苦肉の作画というのがある」
「苦肉の策じゃないのですか」
「策は意図したものじゃが、そうではない。調子の悪いときは絵など画きとうないし、画き出そうとしても一点も墨を付けられぬ。画くものがないというより、画く気がないのじゃろうな。しかし、頼まれた絵は画かないといけない。食うためにはな。だから、無理をしてでも画く。調子の悪いときにも」
「それで苦肉の策で、何かいいものができるわけですか」
「苦肉の作画は、策がない。従って、何をどう画くのかは決まらん。画くものが決まらんのに画く。これが意外と良いのができる。思わぬ絵が画けたりする。しかし、その間、非常に辛いが、画き出せば何とかなる」
「今もそんな感じですか」
「それを狙ったわけではないが、絵はもう飽いた。これ以上画いてもそれ以上の深みもない」
「凄いところに来ておられるのですね」
「いやいや、ネタが切れただけじゃ。しかし、この種本に加えられそうな新作が画けたりする。それらはいずれ君に渡す。我が流派を残すためにな」
「はい、精進します」
「精進ではなく、水が涸れてからが勝負でな。画くものが枯れてから本当の絵が画けるようになる」
「枯山水のようなものですね」
「君はまだ、我が流派に伝わる種絵を真似なさい。まだ、残っておるだろ」
「はい、では、あちらで模写します」
「ああ、私が教えなくても、その種本が教えてくれようて」
 師匠は相変わらず苦しそうな顔をしている。頼まれた絵が画けないのだろう。
 弟子は師匠の部屋を出るとき、柿を差し出した。
「それは渋柿じゃ。階段のところの柿じゃろ」
「そうです」
「まあ、いい、食べる」
「え」
「ついでに苦そうな虫を持ってこい」
「さらに苦しくなりますよ」
「苦肉の作画に役立つ」
「あ、はい」
「苦しくて、絵が荒れる。これは調子の良いときには出せない筆使いとなり、筆先の飛び、蹴り、跳ね具合に妙味が出る」
「苦虫は無理ですが、柿をもう一つ取ってきます」
「ああ、そうしてくれ」
 弟子が部屋を出たあと、師匠はその柿を囓った。
「しまった」
 師匠の顔から苦しそうな表情は消えていた。
 甘柿だったようだ。
 
   了

 
 

   


2015年9月22日

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